特攻隊は今でいうエリートだったのです、一流大学に行けるような方ばかり、
もしくは卒業生。しかもスポーツ万能。
自ら志願して行く方も多く、日本国の明日を信じ、その身を敵艦隊に体当たり・・・
特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の三角兵舎。
知覧特攻平和会館には、数多くの遺書や手紙が残されています。特攻隊の教官だった
年配者の一人は、教え子が続々と出撃していく中で「必ずオレも後に続く!」と約束を繰り
返していました。しかし、重要な職務を持ち妻と子二人の家族を持つ隊長には出撃命令は
出されませんでした。何度嘆願書を出してもだめです。逆に妻は夫に死なないで欲しいと
何度も説得を繰り返しました。しかし、夫の決意があまりにも固いことを悟った妻は、
「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、
一足お先に逝って待っています」と遺書を残し、3才と1才の女の子を連れて入水自殺
してしまいました。引き上げられた妻子の遺体のそばで号泣した教官は再度血書嘆願
を出しやっと出撃を認められたのです。教官の遺書には「母とともに消え去った幼い命
がいとおしい まもなく会いにいくからね お父さんの膝でだっこして寝んねしようね
それまで泣かずにまっていてください」と書かれていました。
穴澤大尉には、大学時代に将来を約束した智恵子(ちえこ)さんという婚約者がいました。
出撃の際白い飛行マフラーの下に智恵子さんから贈られたマフラーを巻いて出撃しました。
穴澤大尉は、智恵子さんに送った最後の手紙の一節に、『婚約をしてあった男性として、
散って行く男子として女性であるあなたに少し言って征(ゆ)きたい』として、
あなたの幸せを希(ねが)う以外に、何物もない徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に
拘(こだわ)るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。勇気を持って過去を忘れ、将来に
新活面を見出すこと。あなたは今後の一時一時(ひとときひととき)の現実の中に
生きるのだ。穴澤は現実の世界にはもう存在しない。と記しています。
戦争で亡くなった方や、特攻の方は、日本国を信じ、日本民族の繁栄を信じ、子孫の為に、
最後に「靖国神社で会おうと」言って飛びったったのです。その靖国の英霊が今の日本を
守ってくれているのでしょう。今の日本の政治や個人のありようを見たら、英霊はなんと
がっかりするでしょう。何故一国の総理が靖国に行くのを躊躇するのか、命を懸けた結果が
このざまか・・・と思っているでしょう。
ならば個人個人がしっかりとして道徳心を持って生きて行かなければ先人たちに顔向け
できないのはないでしょうか。
最後に先人たちの想いを込め、平和の鐘を鳴らさせて頂きました。
平和会館の話、涙なしでは読めませんでした・・・現在こうして私達の平和があるのは数々の悲しい犠牲があったからこそなのだと。
今を生きる私達はいつまでもこうした過去を忘れずにいなければと改めて思いました。