先日、どうしても行きたかった、鹿児島知覧特攻平和公園に行ってきました。
鹿児島と言えば、小野店の家紋をつけさせて頂いている。関ヶ原の戦いで、
最後に敵陣の本体、中央突破で無事鹿児島まで逃げ切った武将、島津義弘の家紋。
負けた西軍についたものの唯一所領安堵され、今も、島津家はこの時代でもかなりの
影響力があります。詳しい事は言えませんが・・・その昔、島津に馬鹿殿はおらん、
と言われたほど、優秀な武将、お殿様が沢山いたのですね。
きっと教育がきっちりしていたのでしょう。
駐車場からは有名な知覧茶がお出迎え、でかい!
左翼の白いものは250kg級爆弾です、ゼロ戦ではありません。これに乗って敵陣に・・・
特別攻撃隊「特攻隊」は殆どが20歳前後、17歳の少年兵もいました。
中は撮影禁止なので遺書等も撮影できませんでしたが、皆、達筆で難しい漢字も使い、
とても今の私達とは比べ物になりません、恥ずかしい想いです。
遺書の中身は、天皇陛下、日本国、そして殆ど全てが母への感謝の気持ちが綴られて
いました。
沖縄本土の救助の為、九州から特攻隊が出発致しました。沖縄に近い南の基地が知覧
だったので、半分がこの知覧から出発致しました。有名な神風(しんぷう)特攻隊は、
この知覧からではありません。続きは次回に・・・