論語學而第一より・・・
曽子曰わく、終を慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。
先祖供養とは、今日私達があるのは、ご先祖あってのこと。立派な戒名を付けて
もらう為に何十万も払うとか、何百万もする仏壇を飾るとか、分不相応な墓を建てる
などしても、ご先祖は喜ばないし、供養にもなら ない。そんなことより、子孫が、
仲睦まじく幸せに暮らしていることが、供養になるし喜ぶんです。
子曰わく、父在せば其の志を観、父没すれば其の行を観る。
三年父の道を改むる無くんば、孝と謂うべし。
父の存命中は、その志をよく観じ取ってその意志に従いなさい。父が亡くなったら、
父のやって来たことをよく振り返って、その遺志を継ぐようにしなさい。
たとえ父のやって来たことに疑問があったとしても、せめて喪中の三年位は
早計に改めたりしないのが、孝(父を敬う)というものだ」と。
爲政第二より・・・
子曰わく、生けるには、之に事うるに礼を以てし、
死すれば之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。
親が生きている時には、礼を以て孝行し、親が死んだら礼を以て葬儀をとり行い、
年忌には礼を以て法要を営む。この礼に違いないということ。
今回は『孝』について書きました。以上の事は解っていても出来ない人が、
私も含め多いでしょうね。親が死んでから親孝行をしとけば良かったと、
反省する事がいっぱいあるのではないでしょうか?私も昨日父親が亡くなり
考えさせられることが多いです。本当に親孝行したのだろうか?迷惑掛けぱっなし
だったのではないか?自問自答してしまいます。せめて亡くなってからは、論語の
様に振る舞いたいと思います。