2日目は、大久野島からフェリーに乗って忠海駅(ただのうみえき)から
三原の来々軒へ・・・
何も考えずに駅を降りたら三原城跡ではないですか、私の好きな小早川隆景(毛利元就
3男)の居城、何とこの駅は三原城跡を新幹線が貫通してできた駅、
なんちゅうことすんねん!三原市!
この城を築いた小早川隆景公(京都塩元帥家紋)が泣いている・・・
やっぱり広島は毛利一族の名残が多いですね。吉川元春公(鶴見店)は
今回はお預けです。吉川、小早川の2つ川を取り、毛利両川といい、毛利元就の
安芸のごく小さな1国人領主の身でありながら息子の毛利両川と共に中国地方治める
西国1の大大名にのし上がったのであります。
感動をしながら3分ほど歩くと、お目当ての来々軒に着きました。
路地に入ったところにあり13時過ぎていましたが、16席の店内は満席!凄いこんな
場所で・・・どこでも立地は関係なく、流行るところは流行るんやなぁ~と再認識しました。
おそらく50年くらいやっている老舗のような感じです。
食券で選びますが、他のお客様を見ていると殆どギョーザを注文していたので、
美味しんだろうと思い注文、8個400円少し高いなぁ・・・ワンタン麺500円は安い、
ラーメン500円でギョーザ400円は大阪では味わえない。
ギョーザと言えばビールでしょう^^と自分に言い訳しながら・・・
美味しいというより、地元にあったら何故か行ってしますラーメンですね、
だから強いんでしょう。
三原駅から2駅向こうの尾道へ・・・必ず行く朱華園さんへ
ここの醤油の角がありそうな醤油ぽいところが好きですね^^
この後は尾道から福山経由で新幹線で新大阪に時間待ちの為福山で1時間の
待ち時間の間福山城へ。関が原合戦後、毛利輝元から福島正則に移ったが 長雨で
太田川が洪水となり、城下は多大の災害に見舞われ、正則は城郭損壊の修復許可を
得るため、再三にわたって幕府へ申請するが、なかなか許可がおりないため、結局将軍の
許可を得ないまま修築を進めた、これが幕府に罪を問われることとなり奥州津軽
四万五千石に改易されることになった。(きたないぞ幕府!陰謀やろ~)
会社で言うと、大幅給料ダウンの上、役職剥奪の上、地方へ左遷・・・やり過ぎやろ!
しかも、復帰の見通し限りなく0
天守閣からの眺め、殿様は毎日良い眺めで酒を飲んでたんでしょうね^^
こんな城みたいな眺めの良い家に住みたいですね^^
今回も良い 旅でした。次回は独身の独立オーナーと行こうかなぁ~