長野県に行く途中の新幹線であまりにも富士山が綺麗だったので、シャッターを押しました。
鳥たちも歓迎してくれて、工場の煙突も煙を出して喜んでいます、何事にもプラスに^^
長野で最初に行ったのは、松代城(海津城)。
信玄が謙信との合戦に備えて築城を急ぎ、山本勘助は80日で普請したという城。
城跡でしたが、川中島の戦いの要所だったんでしょう。
そして真田の地、上田です。真田の屋敷六道銭(六文銭)がお出迎い。
死者が三途の川を渡るため、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の「六道」に
一文ずつおいていくために必要と考えられているお金の渡し賃である。
決死の覚悟であるという意気込みが伝わるところからこの家紋にした。
真田と言えば幸村でしょうが、私は父の昌幸も大好きです。
この幸村の本名は「真田 信繁 」(さなだ のぶしげ)です。江戸時代に書かれた書物による
通称。戦国の世で、肉親が殺し合うのが常であった時代に、信玄の弟信繁は、よ
く兄を助け仕えた人物、その姿を見た家臣の昌幸は尊敬し、自分の次男にこの名前を頂き
信繁にしたそうです。この親子の戦いぶりは、徳川軍およそ7000、対する真田軍2000。
数に不利な中、真田戦法により徳川を敗走させ、この活躍により、真田の名が一躍全国へ
知れ渡ることに、関ヶ原の戦いでも西軍についた幸村は、徳川秀忠率いる38、000と
真田軍わずか3、000の戦い。見事敵を退け、秀忠軍を関が原に間に合わす事が出来ない
状態にした。大坂冬の陣で命を落としましたが、敵の島津家より、
「真田(さなだ)日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)、古よりの物語にもこれなき由(よし)」
と言わしめた人物。皆から好かれるのも解ります。
そしてパワースポット善光寺へ沢山の人でした。
やっぱりラーメン屋さんへも行きました。風情を漂わす、蕎麦屋さん、
ラーメンもありましたので、入りました。
昔ながらの中華そばであっさりしていて美味しかったです。
続いてもう一杯、三ツ矢堂製麺さん。並盛で麺300gあります。小200gにして
欲しかったですが、出来ないと言われました。
残すと思いましたが、太麺なのか案外完食できました。美味しかったです。
最後は山奥のうどん屋さんいかにも拘った感がありそうです。超太麺で、小麦粉の濃度が
高い感じでした。