前職は2つあります。 最初の就職先は、飲食業界ではなく旅行会社でした。 次に勤めさせて頂いたのは、個人経営のラーメン屋です。 ここで5年ほど修行させて頂いて、2010年6月に塩元帥に入社いたしました。
私は旅行関係の専門学校を卒業後、タイ(バンコク)の旅行会社に就職しました。 この会社は現地のツアーガイドを派遣する会社で、熱く頼りがいある上司の元、営業として8年間勤務いたしました。 日本(大阪)にも支社がある企業だったので、私は大阪の仕事も任され、とても充実した会社員ライフを送らせていただきました。 ちょうどその頃の私ですが、ちょっとした趣味を持つようになりました。 それは、ラーメン好きとして、美味しいラーメンを食べ歩くことです。 タイから大阪に戻ると、美味しいラーメンを食べることが楽しみになったのです。 大阪を中心に東京や他の地域にも足を延ばすようになり、美味しいラーメンがあると聞きつけては食べに行き… 気がつけばラーメンの世界に心が傾いていきました。 そのうち、食べに行くだけでは事足りなくなり、家で自作ラーメンを作るまでになっていったのです。 (素人の独りよがりですので、もちろん売り物になるものは出来ませんでした。。 今も当時のレシピを持っており、 懐かしく見返すこともありますが、やはり人に見せることはできませんね^^;) この自作ラーメンを作り始めた頃には、ラーメン屋として生きていく決意が私の頭の中に確立されていました。 そして仲間や家族に強く止められながらも、自分の人生を自分らしく生きるため、 ついにラーメン屋に転職することを決意し、会社を辞めさせていただいたのです。 今思うと、なぜ充実した会社員生活から方向転換できたのか不思議ですが、 これが運命というものなのかなと今は解釈しています。 これが最初の転職理由です。 次の就職先は個人経営のラーメン屋です。 自分で独立した店を出すことを目標に退職したわけですが、流石に店を繁盛させるラーメンを作れるわけでもなく、 接客や店舗運営などのノウハウを何も知りません…。 ですので、自分にはまず修行が必要不可欠だと思いましたので、自分が食べ歩いた中で 勢いのある京都のラーメン屋(塩元帥とは全く関係ないお店です)に 就職させて頂きました。 この店は、店長がとても厳しく、スタッフも店長に鍛えられているのでピリッとした雰囲気があります。 私は、”闘将”と呼ばれる野球の星野監督の大ファンですので、そういった強く厳しい店長に憧れ、ここを選びました。 もちろんラーメンも納得のいく美味しさで、凄い行列のできる人気店です。 更には自然素材・自家製麺などの手作りにこだわっており、これも私の方向性と一致してしていました。 修行するには十分な条件が揃っていましたので、この店で私は5年間勤務(修行)することになります。 このラーメン店の店長は、元和食の料理人ということで、筋金入りの厳しい方…。 最初は洗い場の仕事や先輩の包丁研ぎなどの雑用ばかり。厳しく長い下積みをクリアしなくては先に進めない、 仕事は先輩や店長から盗みながら覚えていくという昔ながらの方針だと思います。 (スープを触らせて貰えたのは働き初めて2年後だったと思います) 私は厳しい環境が苦手ではないので、そういった職場環境でもめげることなく修行に精を出しました。 そして何より、ラーメンそのものが好きでこの業界に入ったわけですから、ここで多くの技を習得し、自分が独立するための足がかりを得なければなりません。 その思いを抱きながら一生懸命働き、5年経つ頃には、全てを任せて貰えるようになっていました。 ”さあ、独立!”とも考えましたが、やはり先に進む不安は尽きません。 ですから、もう1店舗だけ経験しようと思い、独立前の最後の修業先を探すことにしたのです。 これが前職の転職理由です。
京都のラーメン屋を退職後、最後の転職先を探し、東京・大阪の様々なラーメン屋を食べ歩きました。 その中で私の目に止まったのが塩元帥グループの醤油ラーメン店・総大醤です。 圧倒的に美味しく、活気ある雰囲気に魅了され、”ここで働きたい”と連絡をさせていただきました。 しかし、当時、タイミングが悪く総大醤は募集をしておりませんでした。 その際、塩元帥は募集しているので、そちらに行ってみたらどうかと総大醤の店長にご提案を頂いたのです。 そして、ホームページの求人情報などをじっくりと読み、塩元帥に応募させていただきました。 納得いくお店で働きたかったので、塩元帥のラーメンももちろん食べに行きましたが、 その味がとても衝撃的だったことを今でも覚えています。 総大醤の醤油ラーメンも美味しかったですが、塩元帥の塩ラーメンも自分が知っている中でナンバーワンの美味しさがありました。 もうここしかない。。ここで勉強できなければ、また全国に修業先のラーメン屋を探しに行かなくてはならない。。 絶対に落とされるものか!と言う強い想いで面接に臨みました。 面接は塩元帥の大将(高橋)がしてくださいましたが、とにかく必死で自分の想いを言い残しがないよう、 全て出し尽くしました。その想いは伝わったようで、結果、塩元帥に入社させていただくことになったのです。 最近、大将と話すと、”お前の面接は本当に長かったよ”と言われます。 でも、それほど私は必死だったのです。
○修行時代はどのような感じでしたか?
とにかく”ラーメン屋で独立開業するためのノウハウを、ここでしっかりと身につける” という意識で一生懸命働きました。 しかし、ここで前の職場との驚くべき違いに気付きました。 それは、とにかく大将もそうですが、会う人会う人、皆がとても優しいのです。 しかも、入り立てであっても何でも教えて貰うことが出来るのです。 正直、拍子抜けしてしまったくらいです。 こんなに短期間でこれだけのことを教えて貰って良いのか。。これでは修行と言うより、とても勉強になる学校みたいな場所じゃないか。。 そんな毎日が学びでみるみると自分の成長を感じている中、更に驚かされたことがあります。 それは、自分の給料が上がっていくのです。 オープンな大将や仲間に沢山のことを教えて貰い、こちらとしては申し訳ないくらいなのに、給料まで上がっていく。。 労働時間も前職より短くルールが決められています。 賄いも椅子に座ってゆっくりと食べる時間が貰えます(前職ではしゃがんで急いで食べることが多かったです) こんな職場があるのか。。と、日々、考えさせられ、徐々に自分の意識も変わっていったように思います。 ”塩元帥の店長や暖簾わけ店主を目指しているのではない、自分独自の店を出すんだ” 修行の場として考えていた私の意識はぐらぐらと揺れてきます。 無添加で美味しいラーメン、優しく人間性の優れた仲間、ルールを守った雇用環境、暖簾わけの魅力。。 非の打ち所の無い魅力に日々囲まれ、自分の意識が揺れる中、 大将から”店長にならないか?”とオファーがありました。 私が働いていた鶴見店の店長が異動になるので、私が店長候補に挙がったとのことでした。 迷いましたが、私には”初志”がありますので、この時は店長になることはお断りさせていただきました。 そしてまた暫く働いていると、今度は半年後に小野店の店長にならないか?と大将から提案されました。 ここでも迷いましたが、やはり。。また断ってしまいました。 そして、1年と4ヶ月後、今度は高槻店の店長にならないかというオファーが来ました。 これもとても迷いましたし、特にこの時期は私が大変お世話になった京都店の金谷店長が 独立を目指している時期でしたので、金谷店長への恩返しとして、しっかりと独立まで 副店長として貢献したいという強い想いがありました。 しかし、大将の猛烈なプッシュがあり、金谷店長も”お前の人生も大事やからそうしたら良い”と言って貰え、 高槻店の店長になることを引き受けました。 金谷店長への恩返しは今後必ず、別の形で成し遂げたいと思います!! ”私独自のお店を独立開業させる”という夢に関しては、塩元帥を暖簾わけしていただいた後、 ”軌道に乗れば、その時に 余裕のある資金でセカンドブランドとしてチャレンジすればいい”と 大将から言っていただけたので、その夢は少し未来の楽しみとして取っておきたいと思います。 何より、この素晴らしい塩元帥グループでまだまだ多く(技術・接客・心の持ち方)を学びたいという気持ちが、 私の意識を変えたのだと思います。
これは、私が厳しくし過ぎたことが原因だと思います。 塩元帥はとても優しい人間の集まりで、そういった中で育てて貰ったのですが、 やはり私の頭の中の理想のリーダー像は厳しく頼りがいのある”闘将”だったのです。 なので、お店のスタッフには厳しく接し、店内にピリッとした空気を張り巡らせ、 そんな中で自分は がむしゃらに仕事をし、自分の背中を見せることでスタッフを育てていく方針をとりました。 しかし、そんな私の想いは通じず、1人辞め、2人辞めと徐々にスタッフが辞めていきました。 誰も私についてきてくれなかったのですね。 スタッフが辞めると店の雰囲気も暗くなるためか 売上も下がっていきます。 その状況を打開すべく、アルバイト募集の求人広告を出しましたが、反響が全然ありません。 とにかく色々なものが空回りで、袋小路に入り込んだ形になりました。 そんな時、大将が話をしてくれました。 ”店を立て直したいか?” ”店の売り上げを元に戻し、更に上を目指したいか?”勿論、わたしは”はい”と答えました。 その際の大将のアドバイスは、”目の前の人を幸せにすることに、自分自身が全力をつくすこと”でした。 勿論、私が厳しくしていたのはスタッフを育てるためですし、スタッフの幸せも願ってのことでした。 しかし、結果を見ると私の厳しさによってスタッフは怯え、モチベーションを下げ、 幸せとはかけ離れた状態になっていたのです。 厳しい環境で強い集団がつくれると私は思っていましたが、それは完全に正しいことではなかったのだと今は気付けました。 過剰な厳しさがスタッフを幸せにするものではないことを学んだ私は、とにかく目の前のお客様、スタッフ、家族を 幸せにすることだけを考えて全力で仕事をしていました。 暫くは結果が出ませんでしたが、半年後、自分でも驚くほど状況は好転。 気がつけば、辞めるスタッフがいなくなり、店の雰囲気が明るくなってました。 アルバイトの募集を出せば、しっかりと反響も出ます。 そして、売上も元に戻り、更に上がり続けていきました。 店長になってスタッフへの接し方で苦しんだ辛い1年間は、とても良い勉強でした。 これからは、”目の前の人を本当の意味で幸せにする”ということの方向性を間違わずに 行動していきたいと思います。
ひと言で言えば人間力です。 塩元帥に来るまでは、技術ばかりを追い求めてきましたが、人間力の大切さはここに来て初めて分かりました。 人を大切にすること、心からスタッフを信じること、目の前の人を幸せにすること、怒ることに意味はないこと、 悩みをきちんと聞いてあげること、きちんと接すると皆の意識が変わり分かり合えるコミュニケーションが現れること。 闘将・熱血漢は今でも好きですが、やはり時代に合わせることも必要ですし、何より目の前の人の幸せを 心から考えて接すると、今行うべき正しい指導というものの本当の姿が見えてくると思いました。
”スタッフを信頼し怒らない教育”が徹底されていること。 そして、このスタンスによってこれほど上手くいくのかと言うことに驚きました。 あと、これはシステムですが 未経験者でも安心して進んでいけるカリキュラムがしっかりしていることにも驚きました。 私は経験者として塩元帥に来ましたが、多くの未経験者が短期間で活躍していく姿は本当に凄いと思います。 また、そのカリキュラムは、指導者によって柔軟性を持たせることが出来、早い人も遅い人にも 対応することが可能です。人間関係、人材教育とは違いますが、求人の難しいこの業界で ドンドン人が集まっている今の状況も凄いと思います。
無添加でここまで美味しいラーメンができることそのものが驚きです。 一杯のラーメンを作るのに、ここまでこだわるのかと思わせられる徹底ぶりが凄いです。 具体的に少し紹介すると、チャーハンを炒める油も市販品ではありません。 チャーシューをつくる際、豚バラから取れる油を使って炒めてます。 製麺は湿度・温度を常に正確に測り、かん水の入れる量を微妙に調整しています。 これは、温度や湿度のちょっとした差(季節変動)が麺の質に影響するために行っていることです。 こられはほんの一例で塩元帥の作業は全てがこのような調子です。 端から見ると 面倒くさいことをしているように思われるかもしれませんが、 本当に美味しいものを毎回同じ味で提供するためには こういった小さな取り組みの積み重ねがとても大切になるのです。
デスクワークが増えたことです。 経営の勉強もそうですし、経理の作業もなかなか大変です。 現場が好きで数字を追いかけたりすることが苦手な私には、乗り越えなくてはいけない壁だと思っています。 困る度に、大将には相談させていただいています。。 ○暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか? これまでは大将が自分たちを守ってくれていましたが、 今は自分が高槻店のスタッフを 守っていかなくてはならないと思うようになりました。 私を慕って入社してくれた正社員スタッフもそうですし、アルバイトさんパートさんも本当に大切な仲間です。 皆が、納得できる未来を手に出来るよう、精一杯、力を注いでいきたいです。 暖簾わけ後の変化はこの仲間への想いにつきます。
しっかり教育を受けた、共通の理念をもつ正社員スタッフが最初からいてくれることは、 これほど心強いことはありません。 暖簾わけではなく、一からラーメン屋をしていたら、スタッフは集めにくいし、 集まっても良い人材である可能性はとても低いと思います。 当然、暫くは安定した収入は得られませんし、その時期を乗り越えれなければ 店を閉めなくてはならなくなると思います。 入っては辞め、入っては辞め…が多い業界なので、良い人材を採用し、 その人材に継続してもらうのはなかなか難しいと思います。
伝えて行けるようになりたいです。
また初志でもある、自分発のラーメンブランドをいつかは立ち上げたいです。
”自分から掴み取る=教えて貰う” ではなく、自分から質問・相談する、 受け身ではなく、自分から道を切り開く…そういった精神が大切だと思います。 待ってるだけではなく、積極的な人にチャンスは廻ってきやすい、そう心から思います。 私で良ければ、何でも相談して貰えたらと思いますし、一緒に夢を掴みとろう!と伝えたいです。
そんな時に大将に仰って頂けたのは、”あきらめたらあかん…絶対にあきらめたらあかん。お前なら絶対に出来る!” このような言葉を当時たくさん頂きました。 大将の言葉を信じなければ間違いなく今の自分は居ませんし、 大将の言葉を信じて踏ん張ってきてよかったと思っています。
店を独立させていただいて、家族のために家まで買えるようになり、沢山のことを教えていただいた大将には、 心から恩返しをしたいと思っています。 そして最後に… 大将には、仕事以外で一生感謝し続けることがあります。 それは、私の妻が妊娠した際、病院で”出産には大きな問題があるかも…”と言われたことがあります。 私も妻も初めての子供でしたので、生むかどうかをとても悩んだ時期があります。 そんな時、プライベートなことではありますが、思い切って大将に相談させていただきました。 そして、長い時間をとって色々なアドバイスをいただきました。 その話のおかげで、私達夫婦は出産に踏み切る覚悟が出来ました。 今、私の家族に可愛い娘がいるのは、あの時、大将に話をしていただいたからです。 きっと私達夫婦だけだと正しい判断は出来なかったと思います。 かけがえのない、大切な家族と暮らせているのは、塩元帥、そして大将と出会えたからです。 この感謝は生涯、持ち続けていきたいと思います。 大将、本当にあの時はありがとうございました!!! 塩元帥と出会い、仕事をする中で、私も妻も両親も兄弟も、私の周りの皆が驚くほど 前向きになり幸せになって参りました。 塩元帥で働いているのは私だけなのに、その幸せが家族に広がっていることは最大の喜びです。 この喜びを今の仲間やこれから仲間になられる方々と共有していければと心の底から思います。