暖簾分け店主【尼崎塩元帥 横尾祐樹】



飲食関係です(大手シティホテルの厨房、チェーンのお好み焼き屋・ラーメン屋)。
○転職した理由は?

働いていたチェーンのラーメン屋が閉店になったためです。

ラーメンへの興味がとても大きくなっていたので、ラーメン業界への転職を考えていました。
○なぜ塩元帥を選んだのですか? 
テレビや雑誌で取り上げられている特集がたくさんあって、それを目にしたことです。
あと、“本気でやっていきましょう”という大将の言葉に惹かれたからです。
○応募のきっかけは?
飲食専門のグルメ雑誌とホームページです。
○修行時代はどのような感じでしたか?
店長になるまでは、22歳から24歳までの2年間ですが全力で駆け抜けた感じです。
友達は皆遊んでいましたが、とにかく仕事のことだけを考えて我武者羅でした。
このように仕事に没頭できたのは、とにかく塩元帥の居心地が良かったからだと思います。
何も知らない私を先輩達が温かく迎えてくれましたし、どんなことでも分かりやすく教えてくれました。
意味のある失敗であれば許容されますし、いつも誰かが助けてくれます。
これまで働いてきた飲食関係の職場とは雲泥の違いで、優しくて温厚な人ばかりで本当に驚きました。
○店長時代の苦労したことは?
店長時代に苦労したことは3点ほどあります。
私が塩元帥の社員として店長をしていたのは24~26歳までです。
まだまだ若造でしたので、年長者のパートさん、アルバイトさんを含む20名をまとめていくことはとても苦労しました。
人にはそれぞれ年齢・性別・個性がありますので、それに応じて指導の仕方を変えなくてはいけません。
また悩んでいる時などは、積極的にその悩みに気付いてあげ、相談に乗っていかなくてはなりません。
こういった上に立つものとして必要なコミュニケーションが最初は上手くできず、本当に苦労しました。
あと、これは意識が低かったのだと思いますが、整理整頓や掃除が徹底できておりませんでした。
商売においてその場をキレイに保つことは当たり前のことなのですが、当時は事務所も店も徹底した管理が出来ていなかったと思います。
社長からいつも言われていましたが、これを本当の意味で理解するのは苦労しました。
最後は、惰性になってしまった時期があったということです。
塩元帥は商品力が強く多くのファンがいるので、心をこめて仕事をしていればしっかりと店を繁盛させることが出来ます。
ただ少し気を緩めると、その状況に胡坐をかき惰性的になってしまいます。
実は1ヶ月だけですが、私もそういった状態に陥った時期がありました。
その時の店の売り上げですが、なんと通常の5%も落としてしまったのです。これは経営者としての考え方が身についておらず、ブランド力に甘えていたのだと思います。
そんな私の状態を社長が見逃すはずも無く、社長に呼ばれ、話を聞いてもらいました。
このような時も高橋社長は怒らず、”大丈夫か?何か悩んでいないか?“と優しく私の気持ちを聞いてくれました。
このような人の元で働けていることが嬉しいことは勿論なのですが、こんな恵まれた状況で惰性に陥った自分にとても腹が立ち、深く落ちこみました。
それからは、日々色々なことに感謝し、惰性になることはもう決してありません。
○自分自身が塩元帥で成長した部分は?
人間力、これに尽きると思います。
塩元帥で働いている中で例を挙げれば切りがありませんが、家族・仕事仲間・友人・物、“全てのものを大事にしよう”という意識が強まりました。
何事にもポジティブに考えるようになりましたし、小さなことに幸せを感じられるようにもなりました。
あと、お金のためじゃなく目の前の人のために働けるようになりました。
これは、塩元帥で働くことによって、お金に換算することのできない沢山の考え方や知識・知恵を貰ったからだと思います。
○人間関係、人材教育で驚いたことは?
上下関係が良い意味であまりなく、とても人間関係がいい所です。
みんなが悩み事を親身に考えてくれるので、厳しい職場が多い飲食業界とは思えませんでした。
あと、最初からドンドン仕事を任せてもらえるので、とても成長が早いです。
最初は皿洗いや掃除ばかりだと思ってましたが、そうでなかったのは入社前のイメージと異なった点です。
○味へのこだわりで驚いたことは?
味へのこだわりで驚いたことは書ききれないほどあります。
まずは、各店舗で自家製麺をつくっていること。温度計や湿度計を見ながら微調整し、とても手の込んだ作業をしていることに驚きました。
あと、化学調味料を全く使わずここまで美味しいラーメンを作っているということに驚きましたし、冷めにくい独特のチャーハンの作り方にも驚きました(最初食べた時、熱さにびっくりしました)。
あとは、とにかくひとつひとつの作業に小さなこだわりが盛り込まれていることです。
スープは、5分毎に火加減を調整しますし(ガスのコックをミリ単位で調整します)、完成までに6工程もあります。
たれは42g、スープは320gなど、とにかく細かい数字上の決め事も徹底されています。リピーターとして帰ってきてくださるお客様の期待を裏切らないため、
寸分違わぬものを提供しようとする心意気に圧倒されたのを覚えています。
サイドメニューを含め基本的には全てを自分の店舗で用意するので、仕込み時間も手間も本当に手がかかります。
たとえ店舗がどんどんと増えていこうとも、こういった手間隙を惜しむことなく続けていることに塩元帥の凄みがあるのだと思います。
○暖簾分け店主について教えてください
暖簾分け店主とは、塩元帥の正社員店長として働いていた店舗をそのまま買い取って独立する形式です。
私は尼崎店の店長でしたので、この店を引き継ぎ、自分の会社を立ち上げ運営しています(今の私は塩元帥・尼崎店を運営する株式会社前進の代表取締役です)。
この方法の良い所は、自分が正社員として切り盛りしていた毎月1000万円以上の売り上げのある店をそのまま続けて運営できるので、スタート時のリスクがとても少ないことです。
スタッフも設備もそのままですし、既に多くのお客様がいる状態で店をオープンしますので、
引き継いだ瞬間から黒字経営が出来るのです。本当にありがたいことだと思っています。
○暖簾分け店主になることで生じた苦労は?
仕事内容は基本的にこれまでと変わらないので、その面での苦労はありません。
しかし、経営者としての事務処理がとても増えたので、そういった面では少し大変です。
ただわからないことは高橋社長に何時でも相談できるので、安心はしています。
○暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?
自分の店を持てたことで、とにかくモチベーションが上がりました。
もちろんこれまでもモチベーションはずっと高かったのですが、更に上に上がった感じがします。
ここまでしていただいた塩元帥ブランドを、自分が傷をつけてしまうことの無い様に!という思いも日に日に強まってます。
あと、自分の店のスタッフを大切にする思いも強まりましたので、みんなが一緒に幸せになれるようにとても真剣に考えるようにもなりました。
行動としては、速度が上がりましたし、色々なことを自分で考えて動けるようになりました。
自分の行動を考え、そして常に変えていくことは、経営のうえでもプラスとなります。
経費節減やトラブルを自分で解決するという意識も今まで以上に高いです。
○暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?
塩元帥の暖簾わけ店主は、とにかく安心です。
手の込んだ作業と安全性に裏打ちされた強い商品力もありますし、既に流行っている店で独立できるためにスタート時から黒字経営が可能です。
そして店を一緒に運営してくれる信頼できるスタッフが最初からいてくれるということは、経営者としてはとても大きいことです。
あと、店舗を買い取る費用に関しても、普通に新規開業するのと変わらないくらいですので、納得でした。
○暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?
付き合いは、これまで同様に続けさせていただいております。
毎月の勉強会にも参加していますし、高橋社長にも頻繁に相談しています。
沢山の仲間がいてとても心強いです!
○先々の夢はありますか?
高橋社長のように、これからチャレンジしてくる仲間をドンドン引き上げていきたいと思います。
仲間に夢を与え、それと共に自分の会社を大きくしていきたいです。
○これからチャレンジされる方へのメッセージ
もし、塩元帥(株式会社全力)に入れたならこれはとても運がいいことです。
高橋社長はスタッフ一人一人の頑張りを絶対に見逃しませんし、必ず正当に評価してくれます。
学歴も職歴も関係なく、素直に全力を投じていれば、正しい形で報われることは間違いありません。
なので、明るい未来を見据え、ただひたすらに仕事をしてください。
塩元帥で成功するコツは、とにかく素直に、ポジティブに熱意を持って全力で頑張ることです。 そんな皆様と熱く語り合えることを、私自身もとても楽しみにしています!
○頑張ってよかったですか?
言葉で言い表せないほど感謝をしていますし、本当に頑張って良かったです!
○大将はどんな人ですか?
とても良く話を聞いてくれますし、頑張りをいつも正当に評価してくれます。
こんなに距離が近く温かみのある社長はいないと思います。
欠点はとくに見当たりませんが、怒るとちょっと怖いです(ここ数年で1度くらいしか見たことはありませんが…)。

暖簾分け店主【総大将 玉井靖浩】



○前職は?
19歳からの5年間、佐川急便で働いた後、しばらく実家の商売(衣料の製造)を手伝っていました。

○転職した理由は?
実家の商売が廃業となったのがきっかけです。 廃業の後、私は屋台を始めたかったのですが、飲食業界にはあまり詳しくありませんでした。 飲食業界のノウハウを働きながら学べたら…と思い、半年頑張るつもりで飲食業界に転職する決意を固めました。

○なぜ塩元帥を選んだのですか?
求人誌に載っていた“塩と醤油に自信有り”というキャッチに惹かれました。

自らの味に絶対的な自信を持っているこのお店なら、自分が将来独立して成功するために必要なモノ・コトを必ず教えてくれるはず… そう考えたのです。

実を言うと、塩元帥を応募させていただく前にも2店舗ほど違うラーメン店を経験いたしました。

しかし、いずれのお店も、個人経営の小さなお店から大きな会社へと変わっていく過渡期にありました。

その時の私は、大きな会社の組織に属しながらラーメン店を経営するのではなく、小さなお店を自分で経営するためのノウハウが欲しかったの で、

前の2店は退職させていただくことにしたのです。 その時ちょうど求人誌に載っていた塩元帥は、まだ総大醤のみで経営されている時代でしたから、私の求めるものに近かったのです。

応募のきっかけは?
グルメキャリーです。
私がお世話になり始めた頃は、ホームページなどは無かったため、求人誌の情報のみで応募いたしました。

修行時代はどのような感じでしたか?
飲食未経験からのスタートでしたが仕事内容は決して難しい内容ではないし、 自分がやりたいと思った仕事だったので、どんな仕事も楽しく充実感で一杯でした。

店長時代の苦労したことは?
苦労と思ったことは殆どありませんが、スタッフとの関係においてはひとつだけあります。

店長時代、私は最高の商品をお客様に提供することのみに没頭しすぎていました。

そしてその本気度がお客様にも伝わるよう、緊張したぴりぴりした感じを醸し出していました。

スタッフに対しても、自分と同じ考えを求め、ただお客様の方だけを向いて仕事をしていました。

しかしあるとき、私が信頼していたスタッフが、私のことをあまりよく思っていないことを知ってしまいました。

私自身、仕事に対して真剣に取り組み、スタッフに対しても良い仕事が出来るように最善を尽くしていたつもりなので そういった負の感情を私に向けられていることに愕然としました。

正直、とても腹が立って仕様がなかったのですが、この時に大将(高橋社長)に相談いたしました。

大将から、“その結果は人のせいではなく自分の責任だと考えるように”と言われました。

正直、この一言で色々なものの見方が変わってきました。

店というのは、お客様だけを見るのではなく一緒に働くスタッフの幸せも見なくてはいけないのだと。

全ては自分の鏡であって、周囲を変えるためには自分を変えなくてはならないのだと。

今は、スタッフの気持ちを感じよく話しを聞き、皆が相談しやすいように出来る限りやわらかく接するように心がけています。

もちろん、人の気持ちを感じることなく生きてきた歴史がありましたので、一朝一夕に変わっていったわけではありませんが 変わっては少し戻ってを繰り返しながら

今では、人としても随分と成長できてきたと思っています(まだまだですが)。

自分自身が塩元帥で成長した部分は?
先にも書かせていただいたように、人への接し方が大きく成長したと思います。 恥ずかしい話、10代のころから数年前までは、自分自身の経済的な成功が中心軸でした。

しかし、大将と一緒に働き始め、色々なことを学ばせていただくにつれ、 経済的な成功ではなく、”人に喜ばれる人になりたい”という方向に軸が変わりました。

総大醤を含む塩元帥グループの教えが長い時間をかけて自分自身に染み込んできた結果だと思います。

※この意識の変化は仕事だけではなくプライベートにも波及し、普段から怒らなくなり、 言動などが大きく変わったと周囲からは言われるようになりました。

人間関係、人材教育で驚いたことは?
私は塩元帥が今のような大きなグループになる前から属していますので、 全てを当たり前だと受け止めて来ましたが、

人間関係が良好で、本気で人間力を高める努力をしているということは、世間から見ると驚きなの かもしれません。

味へのこだわりで驚いたことは?
味の徹底的な再現性を求めて調味料などを1g単位で正確に計量していること。 本当に良いものを提供するためには、この意識が大切なのだと思います。

暖簾分け店主になることで生じた苦労は?
お客様数に対するプレッシャーが強くなりました。 やはり、自分の店を持つという責任は重いのだと実感いたしました。

暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?
経営者になって感じた事はスタッフの人生を背負っている責任です。 その責任を感じながら仕事をさせて頂いている今の環境に感謝したいです。

今は僕と一緒に働いてくれているスタッフが、この店に入店して良かった、 毎日が充実感で一杯だと感じて頂ける環境を作る事が目標です。

僕が大将に店を譲って頂いたように僕も今一緒に働いてくれているスタッフに店を譲れるレベルの人間になる事が目標です。

暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?
暖簾分けの良い所は、失敗する可能性が限りなくゼロに近い安心感です。

また、暖簾わけをうたっていても自由度が少ないケースが多いこの業界で 塩元帥グループは自由度が高いという特徴があります。

総大醤の経営者をさせて頂きながら自分自身の新しい味でラーメン屋を出店しても良いと言う環境、 目標を与えて頂いている事に感謝です。

暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?
もちろんあります! 暖簾分け店主になったからといって、私の勉強が終わったわけではありません。

会議にも参加させていただいたり、独立したオーナーが集まる食事会に顔を出すようにして、 日々勉強させていただいております。

先々の夢はありますか?
自分ブランドの店を一から創りたいと思っています。 ラーメンに関しては総大醤で十分やりきっていますし、総大醤は今後、店舗を増やしていく予定は今のところありません。

なので、ラーメンとは異なるジャンルの店を出して、実力を試してしてみたいです。 また、違う角度からの夢がもうひとつあります。

それは、大将が私にしてくださったように、私も新しくチャレンジする人達のために何か貢献できれば…と考えています。

これからチャレンジされる方へのメッセージ
自分の気持ちを本気にするだけで大きく人生が変わります。

”本気”が成功のキーワードですので、熱く一気に進んでください! 今からプロスポーツ選手になれ、医者になれ…など、無茶なことを言っている訳ではありません。

仕事に対して”やる気・本気”を持つ、ただそれだけです。 たったそれだけで、あなたの人生が大きく変わります。これ、本当ですよ。

頑張ってよかったですか?
良かったです。 先程も言いましたが、本当のところは飲食店経営のノウハウが学べたら、その段階(予定では半年でした)で店を辞めるつもりでした。

しかし、大将が優しく親切に(時にはとても厳しく)私のことを私以上に真剣に考えてくださるものですから、

いつしか自分の心に”必ずこの人のプラスになってから辞めよう!”…そういった気持ちが芽生えたのです。

その気持ちが、私の”やる気”にさらに拍車をかけました。 その頑張りの成果が、今のこの”暖簾分け店主”という立場に表れているのだと思っています。

大将はどんな人ですか?
他の人が見落としがちな、とても細かいところまでしっかりと見ることができる方ですね。

また、社長というよりも道徳を追求する人です。 入社当初、廃棄・ロスを無くすことや1円の重要さを切々と説いておられましたが そのことが商売を成功させる鍵であると、

独立した今は見にしみて分かります。 当初から、経営のイロハから人間としての部分をしっかりと教えてくださったことは感謝しても感謝し切れません。

私の親も良い人とめぐり合って奇跡といってくれています。 大将に伝えたいことは、心から”ありがとうございます”という言葉です。 そして、これからも宜しくお願い致します。