5月28日(水) 新人研修 

塩元帥では本社にて定期的に新人研修が行われています。

今月も6名の方が参加されました。

皆さん、少し緊張した面持ちで来られましたが、玄関口で他店の方と顔を合わされると

「今月から○○店で勤務しております○○です!よろしくお願い致します!」

「来月から○○店に勤務いたします○○です!よろしくお願い致します!」と、とても爽やかに

挨拶されていました(*^^*)

大将が、「ようこそ!夢の世界へ」と笑顔で、少し恥ずかしそうにおっしゃられて始まる研修も、

それぞれの夢を抱いて入社された新入社員の方にとっては、本当に夢を叶えるための世界で、面接の時には

皆さん熱意をもって夢を語られていらっしゃっいました。

自己紹介では「無化調でこんなに美味しいラーメンが作れるのか!と感動して応募しました」

「会社全体の考え方に惹かれて」等と入社動機やご自分の経歴等を話されていました。

自己紹介

自己紹介2

その後はハウスルールといった勤務に関する就業規則や人としてどうあるべきか等、大将のお話も含

め資料をいくつか勉強します。皆さん熱心に大将の話に聞き入っています。

大将 お話

 

今回の資料「教育勅語」の一部を紹介致します。

「学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進で公益を広め、世務を開き、

常に国憲を重じ、国法に遵い、一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。」

これは・・・

《誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」

という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業につき、

「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世ため人のために働きましょう。

ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、

ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、

愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、

力を尽くしましょう。》

という現代語訳を大将が更にわかりやすくお話して下さいます。

祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承するよう努めることは、とても大切なことだと

勉強します。

 

13時~18時までみっちりと研修され、その後懇親会で親睦を深められました。

塩元帥では新人研修だけでなく、全体会議など店舗以外でも色々なことを学ぶ場がありますよ。

 

暖簾分け店主 【京都店 金谷 章夫:H23年4月独立】

金谷店主

 

前職は?

 

前職も飲食業に携わっておりました。

個人の中華店を9年と、チェーンのラーメン店を9年、合わせて18年勤めさせて頂きました。

2店舗目のラーメン店では、役職として主任を任されていました。

転職した理由は?

 

2店舗目の会社の営業不振により、転職を余儀なくされました。

なぜ塩元帥を選んだのですか?

 

私自身「醤油ラーメン」が大好きで、多くのラーメンを食べ比べをいたしました。

その中でも総大醤のラーメンが一番美味しく、私にとって衝撃的でした。

働くならここしかない!と、味で決めたようなものです。

応募のきっかけは?

 

4年半前、たまたま手に取った飲食業界の求人情報雑誌に、塩元帥の情報が掲載されておりました。

働きたいと思っていた会社だったので、すぐさま応募させて頂きました。

修行時代はどのような感じでしたか?

 

ここで働きたい!と強く思って入ったラーメン店でしたので、修行時代も大変だと感じたことはありません。

あらゆることが刺激になり、とても良い勉強をさせていただいたと思っております。

しかしながら前職のラーメン店の働き方が身についてしまっている分、戸惑いはたくさんございました。

”カウンターしかない”という店のスタイルです。

お客様の目が常にこちらを向いていて1秒たりとも気を緩められないことは、以前のラーメン店ではなかったことです。

本当に戸惑いましたが、前職の仕事のスタイルのままでは塩元帥では通用しないということを

身をもって知らされました。

ですので、塩元帥に来てくださる”通”で”こだわり”を持ったお客様に満足してもらえるような働き方ができるように、

前職の18年分の凝り固まったプライドはかなぐり捨てたのです。

そのおかげで、以前から大将に指摘されていた”キミの接客は、お客様へ感謝の気持ちが込められていない!”

という課題も克服され、あらゆることへの感謝の気持ちを心から持てるようになったのもこの時代です。

店長時代の苦労したことは?

 

この時代の苦労は、ひょっとしたら皆様が通る道かもしれませんが…。

人材教育…つまりは”人への指導”についてです。

社員は私同様、ラーメンへの熱い想いを持って入って来られてる方ばかりなので手を焼くということはありませんが、私が苦労したのはアルバイトさんです。

店長になってからの私は、本当に怒ってばかりでした。

自分の考えと合わないと怒る、成長が見られないと怒る、ミスがあると怒る…怒る…怒る…。

反省や指導で、終礼も延々と続きました。 そしてその結果、”その子のため”と思って指導をしたはずのアルバイトスタッフがあっさりと店を去っていくのです。

店長として売上もあげないといけない、結果を出さないといけない、だけどスタッフの心がまとまりません。

私の指導方法は、あきらかに間違っていました。 そこで、藁にもすがる思いで上に相談し、指導方法を伝授していただいたのです。

「怒らない指導法」です。 すると店の雰囲気は一変し、皆の心が驚くほど一つにまとまるようになりました。

これは店長時代に一番学んだ良い経験かもしれません。

あと店長として実務面での苦労は、会社へ提出するレポートの数々です。

私自身パソコンや文章作成が苦手なので、これはいつも苦労いたします。

自分自身が塩元帥で成長した部分は?

 

1番に言えることは、”感謝の心”を持てるようになったことです!

以前のラーメン店までの18年は、今から考えればただ単に仕事をこなしているだけでした。

仕事も楽しくないし、時間が経つのも遅かった…。

ですがこちらで働かせて頂くようになり、仕事とはこんなに楽しいものかと毎日が発見の連続でした。

自分の人間力を高めたいと思えるようになったし、何より人のために働くことの有難さを感じられるようになりました。

それを気づかせてくれた会社にも、来てくださるお客様や取引先様にも、支えてくれる家族・友人・スタッフ…すべての人・モノ・コトに感謝しております。

人間関係、人材教育で驚いたことは?

 

こちらの会社で驚いたことは、みんなの見ている方向が同じであるということです。

会議やレポート、朝礼、終礼、3大理念・3大原則…すべてにおいて、大将の教えが徹底して周知されています。

大将の仰ること・行動には一貫して筋が通っており、また明らかに正しいことを仰るので、皆が尊敬しております!

味へのこだわりで驚いたことは?

 

自分も調理に携わって初めて目の当たりにしましたが、本当に全てが無化調・無添加スープ・自家製なのです!

マヨネーズも厨房で作っていますし、雑魚もきちんと絶妙な配合の調味料で炊いてます。

ネギは切ったものを仕入れるのではなく自分達で切りますし、全ての仕込みが自分達でしなければいけません。

私も長く飲食業界にいますから、ある程度業者に任せたものを仕入れたほうが早いのでは?と思ったことがあるのも事実です。

ですが、それでは”大将の想い”から外れてしまうのです。

時間はかかりますが、本当に美味しいもの・安全なものをご提供するには、ここまでしないとダメなんだと勉強になりました。

暖簾分け店主になることで生じた苦労は?

 

夢である自分の城が築けた!という喜びにひたれるようなゆっくりした時間は、まだありません。

ですが、充実感でいっぱいでございます。

やることも多く、給料計算から取引様への支払い・帳簿付けなど…経理関連の仕事もこなさなければなりません。

また求人の段取りや面接、採用後の教育など…人事関連の仕事もたくさんあります。

4月に独立させて頂いたばかりで大変ではありますが、とてもヤル気でいっぱいです!

実際のところ、収入も上がりました!

暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?

 

店長時代にももちろんありましたが、それとはまた”異質”の責任感が芽生えました。

暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?

 

これは本当に大きく違います。

イチから自分でラーメン店をオープンさせ繁盛させるということは、並大抵の人ではできません。

ですが暖簾分け店主は、お客様のご支持が多くある”自分も心底惚れているラーメン”で勝負が出来ます。

塩元帥の店長として軌道に乗せたラーメン店で、引き続き自分の店として勝負ができるのは本当に有難い話です。

 

暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?

 

もちろんあります!

私を成長させていただいた会社ですので、そのご恩は引き続き何らかの形で返していくところでございます。

会議にもまだまだ出席させて頂いておりますし、困ったときはアドバイスもいただいております。

レポートの提出も継続いたしますし、売上の報告も行っております。

何より大将の掲げた3大理念・3大原則は、続けていきたいですね。

オーナー会にも今後は参加をさせて頂こうと思っております。

先々の夢はありますか?

 

まずは遠くばかりを見ずに、しっかりと足元を固めようと思っています。

そして自分のように、多くの社員が羽ばたいて行ってくれることを望みます。

大きな夢としては、いつかは大将のように自分発のオリジナルの飲食店を出したいです。

これからチャレンジされる方へのメッセージ

 

まずはこのホームページを熱心に読んで下さっている方へ…”ようこそ!幸せの会社へ!”と言いたいです。

穴が開くほど読まれている方は、きっとその気持ちも伝わるかと思います。

ぜひ頑張って夢の実現を叶えて欲しいと思います。

頑張ってよかったですか?

 

良かったです! これまでの自分、これからの自分を見つめることができましたので。

大将はどんな人ですか?

 

雲の上の存在です。 それでも親しくしてもらえているのは、本当に嬉しく思っています。

このままの大将でいてください。 どうぞ変わらないで下さい。

暖簾分け店主 【高槻店 松間 一郎:H23年10月独立】

   高槻店 松間店主1
前職は?

前職は2つあります。 最初の就職先は、飲食業界ではなく旅行会社でした。 次に勤めさせて頂いたのは、個人経営のラーメン屋です。 ここで5年ほど修行させて頂いて、2010年6月に塩元帥に入社いたしました。

転職した理由は?

私は旅行関係の専門学校を卒業後、タイ(バンコク)の旅行会社に就職しました。 この会社は現地のツアーガイドを派遣する会社で、熱く頼りがいある上司の元、営業として8年間勤務いたしました。 日本(大阪)にも支社がある企業だったので、私は大阪の仕事も任され、とても充実した会社員ライフを送らせていただきました。 ちょうどその頃の私ですが、ちょっとした趣味を持つようになりました。 それは、ラーメン好きとして、美味しいラーメンを食べ歩くことです。 タイから大阪に戻ると、美味しいラーメンを食べることが楽しみになったのです。 大阪を中心に東京や他の地域にも足を延ばすようになり、美味しいラーメンがあると聞きつけては食べに行き… 気がつけばラーメンの世界に心が傾いていきました。 そのうち、食べに行くだけでは事足りなくなり、家で自作ラーメンを作るまでになっていったのです。 (素人の独りよがりですので、もちろん売り物になるものは出来ませんでした。。 今も当時のレシピを持っており、 懐かしく見返すこともありますが、やはり人に見せることはできませんね^^;) この自作ラーメンを作り始めた頃には、ラーメン屋として生きていく決意が私の頭の中に確立されていました。 そして仲間や家族に強く止められながらも、自分の人生を自分らしく生きるため、 ついにラーメン屋に転職することを決意し、会社を辞めさせていただいたのです。 今思うと、なぜ充実した会社員生活から方向転換できたのか不思議ですが、 これが運命というものなのかなと今は解釈しています。 これが最初の転職理由です。 次の就職先は個人経営のラーメン屋です。 自分で独立した店を出すことを目標に退職したわけですが、流石に店を繁盛させるラーメンを作れるわけでもなく、 接客や店舗運営などのノウハウを何も知りません…。 ですので、自分にはまず修行が必要不可欠だと思いましたので、自分が食べ歩いた中で 勢いのある京都のラーメン屋(塩元帥とは全く関係ないお店です)に 就職させて頂きました。 この店は、店長がとても厳しく、スタッフも店長に鍛えられているのでピリッとした雰囲気があります。 私は、”闘将”と呼ばれる野球の星野監督の大ファンですので、そういった強く厳しい店長に憧れ、ここを選びました。 もちろんラーメンも納得のいく美味しさで、凄い行列のできる人気店です。 更には自然素材・自家製麺などの手作りにこだわっており、これも私の方向性と一致してしていました。 修行するには十分な条件が揃っていましたので、この店で私は5年間勤務(修行)することになります。 このラーメン店の店長は、元和食の料理人ということで、筋金入りの厳しい方…。 最初は洗い場の仕事や先輩の包丁研ぎなどの雑用ばかり。厳しく長い下積みをクリアしなくては先に進めない、 仕事は先輩や店長から盗みながら覚えていくという昔ながらの方針だと思います。 (スープを触らせて貰えたのは働き初めて2年後だったと思います) 私は厳しい環境が苦手ではないので、そういった職場環境でもめげることなく修行に精を出しました。 そして何より、ラーメンそのものが好きでこの業界に入ったわけですから、ここで多くの技を習得し、自分が独立するための足がかりを得なければなりません。 その思いを抱きながら一生懸命働き、5年経つ頃には、全てを任せて貰えるようになっていました。 ”さあ、独立!”とも考えましたが、やはり先に進む不安は尽きません。 ですから、もう1店舗だけ経験しようと思い、独立前の最後の修業先を探すことにしたのです。 これが前職の転職理由です。

なぜ塩元帥を選んだのですか?

京都のラーメン屋を退職後、最後の転職先を探し、東京・大阪の様々なラーメン屋を食べ歩きました。 その中で私の目に止まったのが塩元帥グループの醤油ラーメン店・総大醤です。 圧倒的に美味しく、活気ある雰囲気に魅了され、”ここで働きたい”と連絡をさせていただきました。 しかし、当時、タイミングが悪く総大醤は募集をしておりませんでした。 その際、塩元帥は募集しているので、そちらに行ってみたらどうかと総大醤の店長にご提案を頂いたのです。 そして、ホームページの求人情報などをじっくりと読み、塩元帥に応募させていただきました。 納得いくお店で働きたかったので、塩元帥のラーメンももちろん食べに行きましたが、 その味がとても衝撃的だったことを今でも覚えています。 総大醤の醤油ラーメンも美味しかったですが、塩元帥の塩ラーメンも自分が知っている中でナンバーワンの美味しさがありました。 もうここしかない。。ここで勉強できなければ、また全国に修業先のラーメン屋を探しに行かなくてはならない。。 絶対に落とされるものか!と言う強い想いで面接に臨みました。 面接は塩元帥の大将(高橋)がしてくださいましたが、とにかく必死で自分の想いを言い残しがないよう、 全て出し尽くしました。その想いは伝わったようで、結果、塩元帥に入社させていただくことになったのです。 最近、大将と話すと、”お前の面接は本当に長かったよ”と言われます。 でも、それほど私は必死だったのです。

応募のきっかけは?
  上にも書かせていただきましたが、総大醤と塩元帥のラーメンの美味しさ、 あとはホームページに書かれていた大将の言葉です。

修行時代はどのような感じでしたか?

  自分独自のラーメン屋で独立するために、最後の修行の場として臨みました。
最初の配属先は鶴見店(新規オープンでしたので、大将も店に入り、暫く一緒に働かせていただきました)

とにかく”ラーメン屋で独立開業するためのノウハウを、ここでしっかりと身につける” という意識で一生懸命働きました。 しかし、ここで前の職場との驚くべき違いに気付きました。 それは、とにかく大将もそうですが、会う人会う人、皆がとても優しいのです。 しかも、入り立てであっても何でも教えて貰うことが出来るのです。 正直、拍子抜けしてしまったくらいです。 こんなに短期間でこれだけのことを教えて貰って良いのか。。これでは修行と言うより、とても勉強になる学校みたいな場所じゃないか。。 そんな毎日が学びでみるみると自分の成長を感じている中、更に驚かされたことがあります。 それは、自分の給料が上がっていくのです。 オープンな大将や仲間に沢山のことを教えて貰い、こちらとしては申し訳ないくらいなのに、給料まで上がっていく。。 労働時間も前職より短くルールが決められています。 賄いも椅子に座ってゆっくりと食べる時間が貰えます(前職ではしゃがんで急いで食べることが多かったです) こんな職場があるのか。。と、日々、考えさせられ、徐々に自分の意識も変わっていったように思います。 ”塩元帥の店長や暖簾わけ店主を目指しているのではない、自分独自の店を出すんだ” 修行の場として考えていた私の意識はぐらぐらと揺れてきます。 無添加で美味しいラーメン、優しく人間性の優れた仲間、ルールを守った雇用環境、暖簾わけの魅力。。 非の打ち所の無い魅力に日々囲まれ、自分の意識が揺れる中、 大将から”店長にならないか?”とオファーがありました。 私が働いていた鶴見店の店長が異動になるので、私が店長候補に挙がったとのことでした。 迷いましたが、私には”初志”がありますので、この時は店長になることはお断りさせていただきました。 そしてまた暫く働いていると、今度は半年後に小野店の店長にならないか?と大将から提案されました。 ここでも迷いましたが、やはり。。また断ってしまいました。 そして、1年と4ヶ月後、今度は高槻店の店長にならないかというオファーが来ました。 これもとても迷いましたし、特にこの時期は私が大変お世話になった京都店の金谷店長が 独立を目指している時期でしたので、金谷店長への恩返しとして、しっかりと独立まで 副店長として貢献したいという強い想いがありました。 しかし、大将の猛烈なプッシュがあり、金谷店長も”お前の人生も大事やからそうしたら良い”と言って貰え、 高槻店の店長になることを引き受けました。 金谷店長への恩返しは今後必ず、別の形で成し遂げたいと思います!! ”私独自のお店を独立開業させる”という夢に関しては、塩元帥を暖簾わけしていただいた後、 ”軌道に乗れば、その時に 余裕のある資金でセカンドブランドとしてチャレンジすればいい”と 大将から言っていただけたので、その夢は少し未来の楽しみとして取っておきたいと思います。 何より、この素晴らしい塩元帥グループでまだまだ多く(技術・接客・心の持ち方)を学びたいという気持ちが、 私の意識を変えたのだと思います。

店長時代の苦労したことは?
  店長時代の苦労は、アルバイトさん、パートさん、社員さんを上手くまとめることが出来なかったことです。

これは、私が厳しくし過ぎたことが原因だと思います。 塩元帥はとても優しい人間の集まりで、そういった中で育てて貰ったのですが、 やはり私の頭の中の理想のリーダー像は厳しく頼りがいのある”闘将”だったのです。 なので、お店のスタッフには厳しく接し、店内にピリッとした空気を張り巡らせ、 そんな中で自分は がむしゃらに仕事をし、自分の背中を見せることでスタッフを育てていく方針をとりました。 しかし、そんな私の想いは通じず、1人辞め、2人辞めと徐々にスタッフが辞めていきました。 誰も私についてきてくれなかったのですね。 スタッフが辞めると店の雰囲気も暗くなるためか 売上も下がっていきます。 その状況を打開すべく、アルバイト募集の求人広告を出しましたが、反響が全然ありません。 とにかく色々なものが空回りで、袋小路に入り込んだ形になりました。 そんな時、大将が話をしてくれました。 ”店を立て直したいか?” ”店の売り上げを元に戻し、更に上を目指したいか?”勿論、わたしは”はい”と答えました。 その際の大将のアドバイスは、”目の前の人を幸せにすることに、自分自身が全力をつくすこと”でした。 勿論、私が厳しくしていたのはスタッフを育てるためですし、スタッフの幸せも願ってのことでした。 しかし、結果を見ると私の厳しさによってスタッフは怯え、モチベーションを下げ、 幸せとはかけ離れた状態になっていたのです。 厳しい環境で強い集団がつくれると私は思っていましたが、それは完全に正しいことではなかったのだと今は気付けました。 過剰な厳しさがスタッフを幸せにするものではないことを学んだ私は、とにかく目の前のお客様、スタッフ、家族を 幸せにすることだけを考えて全力で仕事をしていました。 暫くは結果が出ませんでしたが、半年後、自分でも驚くほど状況は好転。 気がつけば、辞めるスタッフがいなくなり、店の雰囲気が明るくなってました。 アルバイトの募集を出せば、しっかりと反響も出ます。 そして、売上も元に戻り、更に上がり続けていきました。 店長になってスタッフへの接し方で苦しんだ辛い1年間は、とても良い勉強でした。 これからは、”目の前の人を本当の意味で幸せにする”ということの方向性を間違わずに 行動していきたいと思います。

自分自身が塩元帥で成長した部分は?

ひと言で言えば人間力です。 塩元帥に来るまでは、技術ばかりを追い求めてきましたが、人間力の大切さはここに来て初めて分かりました。 人を大切にすること、心からスタッフを信じること、目の前の人を幸せにすること、怒ることに意味はないこと、 悩みをきちんと聞いてあげること、きちんと接すると皆の意識が変わり分かり合えるコミュニケーションが現れること。 闘将・熱血漢は今でも好きですが、やはり時代に合わせることも必要ですし、何より目の前の人の幸せを 心から考えて接すると、今行うべき正しい指導というものの本当の姿が見えてくると思いました。

人間関係、人材教育で驚いたことは?

”スタッフを信頼し怒らない教育”が徹底されていること。 そして、このスタンスによってこれほど上手くいくのかと言うことに驚きました。 あと、これはシステムですが 未経験者でも安心して進んでいけるカリキュラムがしっかりしていることにも驚きました。 私は経験者として塩元帥に来ましたが、多くの未経験者が短期間で活躍していく姿は本当に凄いと思います。 また、そのカリキュラムは、指導者によって柔軟性を持たせることが出来、早い人も遅い人にも 対応することが可能です。人間関係、人材教育とは違いますが、求人の難しいこの業界で ドンドン人が集まっている今の状況も凄いと思います。

味へのこだわりで驚いたことは?

無添加でここまで美味しいラーメンができることそのものが驚きです。 一杯のラーメンを作るのに、ここまでこだわるのかと思わせられる徹底ぶりが凄いです。 具体的に少し紹介すると、チャーハンを炒める油も市販品ではありません。 チャーシューをつくる際、豚バラから取れる油を使って炒めてます。 製麺は湿度・温度を常に正確に測り、かん水の入れる量を微妙に調整しています。 これは、温度や湿度のちょっとした差(季節変動)が麺の質に影響するために行っていることです。 こられはほんの一例で塩元帥の作業は全てがこのような調子です。 端から見ると 面倒くさいことをしているように思われるかもしれませんが、 本当に美味しいものを毎回同じ味で提供するためには こういった小さな取り組みの積み重ねがとても大切になるのです。

暖簾分け店主になることで生じた苦労は?

デスクワークが増えたことです。 経営の勉強もそうですし、経理の作業もなかなか大変です。 現場が好きで数字を追いかけたりすることが苦手な私には、乗り越えなくてはいけない壁だと思っています。 困る度に、大将には相談させていただいています。。 暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?   これまでは大将が自分たちを守ってくれていましたが、 今は自分が高槻店のスタッフを 守っていかなくてはならないと思うようになりました。 私を慕って入社してくれた正社員スタッフもそうですし、アルバイトさんパートさんも本当に大切な仲間です。 皆が、納得できる未来を手に出来るよう、精一杯、力を注いでいきたいです。 暖簾わけ後の変化はこの仲間への想いにつきます。

暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?
  資金・レシピ・接客・実績のある味、暖簾わけはメリットばかりです。
何より、塩元帥グループで一緒に働いていた仲間が私の会社に入ってくれたことが最大のメリットです。

しっかり教育を受けた、共通の理念をもつ正社員スタッフが最初からいてくれることは、 これほど心強いことはありません。 暖簾わけではなく、一からラーメン屋をしていたら、スタッフは集めにくいし、 集まっても良い人材である可能性はとても低いと思います。 当然、暫くは安定した収入は得られませんし、その時期を乗り越えれなければ 店を閉めなくてはならなくなると思います。 入っては辞め、入っては辞め…が多い業界なので、良い人材を採用し、 その人材に継続してもらうのはなかなか難しいと思います。

暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?
  これまでと変わらず、付き合わせていただいています。
毎月の全体会議に出席させて貰っていますので、今後は みんなに自分が経験した失敗談・成功談を

伝えて行けるようになりたいです。

先々の夢はありますか?
普段から頑張ってくれているスタッフ全員の夢を叶えてあげられるような…
そんな会社でありたいと思っています。

また初志でもある、自分発のラーメンブランドをいつかは立ち上げたいです。

これからチャレンジされる方へのメッセージ
  塩元帥には、誰にでもチャンスがあります。
しかし、チャンスは自分から掴み取らなくてはなりません。

”自分から掴み取る=教えて貰う” ではなく、自分から質問・相談する、 受け身ではなく、自分から道を切り開く…そういった精神が大切だと思います。 待ってるだけではなく、積極的な人にチャンスは廻ってきやすい、そう心から思います。 私で良ければ、何でも相談して貰えたらと思いますし、一緒に夢を掴みとろう!と伝えたいです。

頑張ってよかったですか?
  本当に良かったと思っています。
厳しい環境でもめげない私ですが、やはり悩み苦しんだ時期は多々あります。

そんな時に大将に仰って頂けたのは、”あきらめたらあかん…絶対にあきらめたらあかん。お前なら絶対に出来る!” このような言葉を当時たくさん頂きました。 大将の言葉を信じなければ間違いなく今の自分は居ませんし、 大将の言葉を信じて踏ん張ってきてよかったと思っています。

大将はどんな人ですか?
  企業のトップの方なのに、何でも話しやすく相談もしやすい方ですし、
謙虚で人に対して優しい雰囲気を持っていらっしゃる方です。

店を独立させていただいて、家族のために家まで買えるようになり、沢山のことを教えていただいた大将には、 心から恩返しをしたいと思っています。 そして最後に…   大将には、仕事以外で一生感謝し続けることがあります。 それは、私の妻が妊娠した際、病院で”出産には大きな問題があるかも…”と言われたことがあります。 私も妻も初めての子供でしたので、生むかどうかをとても悩んだ時期があります。 そんな時、プライベートなことではありますが、思い切って大将に相談させていただきました。 そして、長い時間をとって色々なアドバイスをいただきました。 その話のおかげで、私達夫婦は出産に踏み切る覚悟が出来ました。 今、私の家族に可愛い娘がいるのは、あの時、大将に話をしていただいたからです。 きっと私達夫婦だけだと正しい判断は出来なかったと思います。 かけがえのない、大切な家族と暮らせているのは、塩元帥、そして大将と出会えたからです。 この感謝は生涯、持ち続けていきたいと思います。 大将、本当にあの時はありがとうございました!!! 塩元帥と出会い、仕事をする中で、私も妻も両親も兄弟も、私の周りの皆が驚くほど 前向きになり幸せになって参りました。 塩元帥で働いているのは私だけなのに、その幸せが家族に広がっていることは最大の喜びです。 この喜びを今の仲間やこれから仲間になられる方々と共有していければと心の底から思います。