暖簾わけ店主【鶴見店 吉田光昭:H25年11月独立】

吉田店主

○前職は?

 

私自身、現在43歳になります。年齢を重ねているという理由もあるかと思いますが、それを差し引いても、周りの皆さんに比べると転職の回数は多いかと思います。

私は高校を出てからすぐに就職をいたしましたが、18歳~27歳までは普通の会社員からスナックのウェイターまで様々な業種を転々としていました。

とくに20歳ごろに経験した喫茶店のウェイターは、接客という仕事がとても楽しくやりがいがあったので、その後(今)の私の人生の礎(いしずえ)にもなったと思います。

喫茶店で働いた延長線として、そのまま飲食業界に進めれば良かったのですが、当時は職業を安定させたいという思いから資格を取り、それを生かした職業を目指しました。そして、27歳から40歳までは電気工事士(2級)の資格を取得し、工事会社で働いていました。

はじめは一人親方のところに弟子入りして7年ほど働いたのち、また転職して、小さい会社でしたが6年ほど働きました。電気工事士の仕事は、徹夜もあったり土日が潰れたり友人とも遊べなくて、決して楽な仕事ではありません。ですがこの仕事は自分に合っていたみたいで、13年という長い期間働くことができました。

とてもやりがいのある仕事だったので職業スキルはどんどん伸びていきましたが、時代背景もあり、給料はぜんぜん伸びてくれません。

ゆくゆくは独立も…と考えた日もありましたが、独立の資金もかかりますし不安だらけだったので躊躇してしまいました。

職した理由は?

 

27歳から7年もの間、一人親方のもとで地道に頑張りましたが、収入も減り生活自体が厳しくなってしまったため、転職を余儀なくされました。

その後に就職させていただいた会社では、任せてもらえる仕事の範囲もグッと広がり、とてもやりがいがありましたので、居心地の良い思いをさせて頂きました。

しかし不運なことに、会社の経営が厳しくなっていき、あえなく退社という運びとなりました。

そこまで電気工事士として計13年。経験もずいぶんあったので、多少の自信もあります。

ですが、いくつか電気工事会社の再就職を目指すも、どこも見習いスタートからだというです。

自分の13年もの経験と能力が、自分の思うような正当な評価となって表れてくれません。

これまで頑張ってきた自分は一体なんだったのか?

こんなに頑張ってきたのに、悔しくないのか?

この自分への問いかけから、これを機会に異業種に転職をすることを決意いたしました。

自分も40歳になる直前でしたので、異業種へ転職をするならこれが最後となります。

本当にやりたいことをしよう!…とてもじっくり考えた結果、20歳の頃やりがいをもって働いた接客業に転身することを決意いたしました。

○なぜ塩元帥を選んだのですか?

 

転職を決意してから、さっそく飲食専門の求人誌(グルメキャリー)で職を探し始めました。

その求人誌の中に、以前、偶然入って食べたラーメン屋さんの求人を見つけました。

“なんだここのラーメンは!めちゃくちゃ美味しいじゃないか!”と本気で驚いてしまうくらい美味いラーメンだったので記憶に残っていたのです。そこが、実は塩元帥だったのです。

感動するくらい”美味いっ!”と思えたラーメン屋・塩元帥の求人を偶然にも発見したものですから、私はもう、とても興奮してしまいました。

ラーメン屋と言えば接客ができます。しかも、あの美味しくて衝撃を受けてしまったお店が求人を出しています。

たくさんの飲食店の求人が掲載されていましたが、もう私には塩元帥しか目に入りませんでした。

急いで塩元帥の事を調べたら、自家製麺・無化調…自分なりにラーメンの美味しい理由がはっきりしました。

こだわりと自信を持っている会社に私はますます魅かれ、もう再就職はここしかない!と思ったのです。

募のきっかけは?

 

グルメキャリーを見たということで、応募させていただきました。

面接は高橋社長にしていただいたのですが、その時は社長ではなくその他の役職の方だと思っていました。なぜそのように感じたかと申しますと、いわゆる”社長”にありがちな偉そうな態度が一切なかったからです。始終ニコニコしていて、この人は一体どういう立場の人なんだろう?と、面接をしていただきながら考えていたことを覚えています。面接を受けながらも、その方の魅力にはまってしまって、一緒に働きたい!とさらに強く思いました。

どうしても面接に合格したい・この会社で働きたい!こんな風に感じた会社は初めてだったので、私は何を聞かれても”ハイ!”と一生懸命答えていました(どんな辛い条件であっても“ハイ”と答えていたと思います)。

緊張した面接も終わり、帰り際、高橋社長から”本当に働きたいと思ったのでしたら、明日電話を頂けますか?”というふうに言われました。

私にとって最後の転職です。

残り一日じっくり考えるつもりでしたが、日付が変わる瞬間にも電話をしたいくらい私の心はもう決まっていました。さすがに夜中に電話をしたら、社会人として常識を疑われますので、私は翌日の朝10時きっかりに電話をさせていただきました。

そして、入社許可をいただいて、私の人生が大きく変わる塩元帥での生活が始まりました。

○修行時代はどのような感じでしたか?

 

塩元帥に無事採用していただき、働き始めたのは私が40歳のときです。

決して若くない私を採用してくれた会社に、心から感謝したのを今でも覚えています。

会社のために一生懸命応えたい…心からそう思いました。

修行がスタートし最初に配属されたのは、尼崎店でした。

前職では仕事は教えられるものではなく、自分で盗むものだったのですが、塩元帥では調理の技術であれ接客のマナーであれ、学ぶべきところはすべてを先輩から教えていただくことができました。そうやってなんでも丁寧に教えていただくことによって効率よく仕事をこなすことができたので、与えられた仕事を一生懸命こなし、仕事が終わるとまた与えられ、それをまたこなし…。

一通りの仕事を必死で覚えているうちに、時間はどんどん加速し進んで行きました。

わたしの修業時代でもある尼崎店では、仕事のためのノウハウもたくさん教えていただきましたが、何より私が嬉しかったのは、店長とたくさんお話ができたことです。

時には朝の5時まで熱く語り合い、 “尼崎で地域一番店になる!”とお互いの夢を話せたのは、本当に良い勉強であり良い思い出です。 仕事は山のようにあり一通りをこなすのはとても大変でしたが、充実した日々を過ごすことができました。

尼崎店で修業がスタートし、仕事への取り組みを評価していただいたので副店長を任されるようになりました。そうやって一生懸命に日々を過ごすうちに、いよいよ私に“鶴見店の店長をしないか?”というオファーが届きました。

トントン拍子でことは進んできたのですが、ここで私は躊躇しました。

実は当時鶴見店では、店長が数名辞めたという過去があるのです。

塩元帥グループの中で、そういった店舗はとても少ないので、何か尼崎店や他の店にはない問題があるのでは。。

鶴見店に配属されたら、私自身もこの大好きな塩元帥を離れる羽目になるのでは。。この不安がとても大きくなっていきました。

しかし、大将からのありがたいオファーですし、“あくまでも候補者のひとりだから”と言われたので、決まったら頑張ろうと思うように心を切り替えました。

そして鶴見店の店長が決まる日、大将から電話が掛ってきて正式にオファーをいただきました。

私は電話の前で正座しながら引き受ける旨をお伝えしました。

○店長時代の苦したことは?

 

少し警戒しながらスタートした鶴見店での店長業務が始まりました。

しかし、スタッフは素晴らしく、売上は塩元帥グループでナンバーワン。特にお店自体に大きな問題がないことは、直ぐに分かりました。

もうこれは、自分次第。。

私が塩元帥で暖簾わけ店主になれるか否かは、店でもスタッフでもなく自分の成長次第だと強く思いました。前任者までの失敗を繰り返さず、必ず結果を出してみせる。

そういった思いで、スタートいたしました。

店はすでに、多くのお客様にご支持をいただいて流行っている、そして仕事に慣れたスタッフもいる。

大きなアドバンテージがあるにもかかわらず、やはりいくつかの大きな苦労が待ちかまえていました。

ひとつは私の気負いすぎです。

ここまで順風満帆で進んできた私は、一気に先に進むため、気合いを入れて仕事に臨みました。

しかし、自分自身の型を既存のスタッフに押しつけてしまったため、スタッフと私の心の距離が空いていくようになりました。私よりキャリアが長く年長者でもある既存スタッフからすると、あとから来て何を勝手なことを言っているんだという思いがあり、その他のスタッフたちは、私の厳しい言い方によって萎縮をしていくようになっていきました。

私から見ると、絶対に変えなくてはいけないという部分がありますが、ナンバーワンの売上店でしかも自分があとから来たとなるとこれは中々難しいことです。

流石にスタッフとの間の溝が広がり、育てなくてはならない大切な新人スタッフの数名が辞めていく中、私は師匠である高橋社長、そして尼崎店の横尾店長に相談させていただきました。

そして、店内で大将も交えた会議を行うことになりました(店長が変わっていく必要がある際、塩元帥ではこういった会議が行われるようです)。

会議では、スタッフから私が改善すべき点をたくさん教えていただきました。

最も多かったのは、私が指導する際の言葉使いが厳しすぎるというものでした。

伝えている内容が間違っているのではなく、言い方が厳しすぎる。。

多くのスタッフから同様の指導を受け、相手の気持ちを考えられていなかった自分を深く反省いたしました。そして、この会議を境に、私は変わっていくことを決意し、生まれ変わったつもりでスタッフに接して参りました。

そうすると、1人のパートさんが、理解を示してくださるようになり、

そこから全スタッフと意識を共有できるようになっていきました。

自分の至らないところを素直に認め、変わっていくというのは、とても難しいことですが、塩元帥という素晴らしい人達が集まった温かい組織の中にいたからこそ、私も一歩踏み出せたのだと思います。

スタッフのことを考え、怒らない指導、自分と相手が違うことを理解すること、感情的にならないこと、偉そうになっていないかを常にチェックすること、言葉遣いを変えること、何かをして貰う際は理由を説明すること。

大切な塩元帥にずっと居続けるためにも、“次はない!”という意識で取り組んで参りました。

私が変わるきっかけにもなったこの会議は、店長自身に意識改革が必要である際に行われるものですので、これから塩元帥の暖簾わけを目指される皆様は、もし会議が行われるようになりましたら、全力で変わる努力をしてください。

変わったあとに、本当に良かったと思えますし、周りのスタッフとの関係も抜群に良くなって参ります(実際、最近はスタッフが沢山集まるようになり、誰も辞めなくなりました)。

多くの諸先輩方も会議を経験しておられ、まさに登竜門とも言えると思います(もちろん、会議無しで進めれば尚良しですが…)。

私の至らなさを気付かせてくださったスタッフの皆様、本当にありがとうございます!

心から、感謝しております!!

○自分自身が塩元帥で成長した部分は?

 

塩元帥で成長させていただいたのは、対人関係の在り方だと思います。

それまでの私は誰と出会っても第一印象が悪く、威圧感があると言われたり、むすっとしていると言われたり…。

自分にそんなつもりはなくても、相手の印象は悪いものばかりでした。

ですが塩元帥に入社させていただき、店長業務の中で反省と改善を繰り返す中で、自分でも不思議なくらい雰囲気が変わっていき、昔からの友人にも“笑顔が増えた”と言われたり、ポジティブな言葉や態度が自然とついてでるようになりました。

髪型や服装なども一切変えていないのにもかかわらず、“雰囲気が変わった”とよく言われるようになったのは、自分本位でなく相手目線の行動が出来るようになり、塩元帥の3大原則が自然に体に染み込んでいったのが理由だと自分では思っています。

人間関係、人材教育で驚いたことは?

 

私は入社した時の年齢が40歳だったので、当然の事ですが…入った瞬間から先輩の皆さんが年下です。ですが年齢なんて関係なく、ダメなことはダメと丁寧に仲間が注意してくれます。

これは職場の仲間同士、お互いを大切に思い合っていなければ出来ないことだと思います。

こういった職場の雰囲気を作ってくれているのは、やはり会社のトップである大将の存在が大きいと私は思います。

普通の会社ならば会議でする話は売り上げの事だったりするのでしょうが、塩元帥では、聞いてる者の心が豊かになるような話を大将からたくさんしていただけます。

そういった話をたくさん聞いて成長した人が集まっている会社なので、

とにかくお互いを大切にし、お互いを高く評価するという雰囲気が出来上がっていると思います

○味へのこだわりで驚いたことは?

 

麺も自家製麺だったり、チャーハンダレ、マヨネーズ、メンマなどなど。

すべてを自分たちで作っていることに入社当初はたいへん驚きました。

その他のものも手作りにこだわっていて、素材同士がケンカをしないような、組み合わせの絶妙なバランスが保たれていたりします。

グラム単位の細かい量で調味料を入れたりしますので、味にブレが無く、いつでも美味しいものを提供できる自信があると思います。

素材にこだわり、そして味に徹底的にこだわる。その背景には塩元帥グループが持つ、“美味しいものを見分ける力“が影響していると思います。

お客様の感覚をしっかりと捉えた独りよがりではない味づくり。それを自然素材で実現。改めて、今回考えましたが凄いことだと思います。

○暖簾分け店主になることで生じた苦労は?

 

2013年11月から暖簾分け店主にさせていただきました。

当初2月に暖簾分け店主になるというお話だったのですが、いろいろあって前倒しになりました。

心の準備ができてなくて慌てる…というよりは、むしろ“自分にとってビッグチャンスがやってきた!”と考えていました。なので苦労というほどのものを感じたことはありません。

このように思えたのは、正社員店長の時代に、暖簾わけ後に苦労しないための様々な仕事をさせていただいていたからだと改めて思います。

本当に感謝しかありません。。

強いて増えた苦労といいますと。。

暖簾分け店主になってからは、今までやってきたことにプラスして経理をこなさなくてはなりません。これは今からでも一生懸命勉強しなくては、と思っています。

この経理くらいでしょうか。暖簾わけ後の苦労というのは。

○暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?

 

経営者という立場になりましたので、今まで以上にスタッフの事を考えるようになりました。

自分についてきてくれるスタッフですから。

私の元に来てくれたみんなには、大将が私にしてくれたように、今度は私が幸せにしてあげないといけないと心から思っています。

○暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?

 

暖簾わけと通常の独立開業は、まったく別物だと思います。

最初からお店のお客様(ファン)がいらっしゃるのは、本当に心強いです。

また、お店のしっかりしたノウハウもある中での独立開業は、断然有利ですよね。

私には資金もあまりありませんでしたが、高橋社長の計らいで、0円プランのような形でお話を進めていただくことができました。

通常の独立開業であれば、ゼロからのスタート。

3~5年ほどかかって軌道に乗せていくところ(軌道に乗る前に店を閉めることも多いと聞きます…)を、初月から黒字というのは、本当にありがたい話です。

○暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?

 

いつも困ったことがあれば、相談させていただいてます。

私にとって株式会社全力は、師匠である高橋社長や尼崎店の横尾店長、そして尊敬する諸先輩方が大勢いらっしゃいます。

悩み事ができると、師匠や諸先輩方に相談や意見を求めるようにしています。

○先々の夢はありますか?

 

大きな夢というよりは、まずは堅実に今の店をきちんと経営していくことが直近の目標です。

私の会社を、一会社として世間で正当に評価していただけるようになりたいです。

そして、私が高橋社長にしていただいたように、私も私のもとで働いてくれているスタッフを幸せに導いてあげたいと思っています。

○これからチャレンジされる方へのメッセージ

 

まずはホームページをしっかり熟読していただき、厳しい面もあるということを理解したうえで塩元帥に入りたい!と固い決心のついた方は、まずは素直な心で飛び込んできてほしいと思います。

ホームページに書かれていることに間違いはありませんし、会社が伸び続けている理由も働いてみればよく理解していただけると思います。(良いことが書いてあるが実情が違うと言うことは塩元帥にはありません。書いてあること以上だと私は思います)

素直に人の話が聞けて自分に甘くない人は、この会社はとても合っていると思いますし、正当に評価される対象になりえると思います。もし私のように、これまでの社会経験が長くてもスキルを評価されずに苦しんできた人たちには、評価されることの喜びが味わえる会社だと思います。

自分の努力を正当に認めて貰えることは何物にも代えられない価値があります。

私はそういった場所を追い求めてきて、ここに来て最高の居心地を感じています。

ぜひ、努力を惜しまない熱意ある皆様にこの思いを味わっていただきたいと思います。

最後に塩元帥で結果を出すためのコツです!

“誰も見ていない場所でも絶対に手を抜かない”、“楽をしようとしない”、“努力を惜しまない”

私の体感では、誰にも見られていない際のプラスの行動が、結果を加速させる感じだと思います。

ぜひ、参考にしていただけたら嬉しいです。

○頑張ってよかったですか?

 

もちろんです。

ここまでの道のりを振り返ってみても、もうすべてに感謝でいっぱいです。

○大将はどんな人ですか?

 

良い意味で“変わった人”と言えます。

おそらく私の人生で出会った人たちの中で、一番“変わった人”ではないでしょうか?

この世の中ほとんどの人が、まず“自分”があって、その次もしくは同等として“自分以外の人”が来るかと思います。

ですが、高橋社長は違うのです。

考え方がとても他者中心とでも言いましょうか、先に来るのが“自分以外の人”なんです。

本当に思いやりがあって慈悲深い人です。

そしてただ人に優しいだけではなくて、大事な部分を見落とさない・見逃さない“鋭い眼差し”を持っていらっしゃる方だと思います。

良いことは素直にほめてくださりますが、ここはアカンと思ったところは必ず進言してくださいます。

とてもタイミング良くアドバイスをくださるので、これまでも本当に勉強になりました。

暖簾分け店主になったこれからも、社長の背中を見て学んでいきたいと思っています。