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塩元帥の開業ストーリー
はじめに。
いま世の中では、第2次グルメブームが起きていると言われています。
第1次グルメブームは、少し前の時代…漫画でいうと『美味しんぼ』、TV番組でいうと『料理の鉄人』が流行った時代。究極・至高の逸品がもてはやされた時代だったように思います。
反対に、昨今のグルメブームは、食べる人にとって親しみやすく身近である一品を楽しむことが特徴のようです。

そんな今の世の中。
数あるグルメメニューの中からラーメンを選んでいただき…そして何よりも、数あるラーメン店の中から『塩元帥』『総大醤』に興味を持っていただき誠にありがとうございます。
こちらのページでは、『塩元帥』『総大醤』というラーメン店ができるまでの"道のり"を、皆様にご紹介できればと思っています。

ラーメン屋になろうとしたきっかけ
30才目前、私は転職を30回繰り返していました。
しかし、職を変えても魅力的でヤリガイのある職業は見つからず、将来に対していつも不安を抱えていました。
その不安は、自分に合った適職が見つからないという焦りと、定年後の生活に対する不透明さから来ていたのだと思います。自分自身がヤリガイを感じながら働き、年を重ねてもしっかりと家族を養って行くには・・・。
色々と思考を重ねる中、自分には商売をするしか方法がない!という考えに至りました。
そして、どういった分野が良いのかを模索している中、当時の会社の同僚がうどん店を経営していた経験があり、その同僚からラーメン屋がいいのではと助言を頂きました。
当時営業マンだった私は、食事は毎日のようにラーメンを食べるほど、ラーメンが大好きでしたので、どうせやるのなら自分の好きなラーメンで人生を掛けて勝負しようと心に決めたのです。そして誰にも迷惑を掛けないように1000万円貯まるまでは、商売をしないと決めたのです。

修行時代。
私(会長・高橋)がラーメンで一生を賭けると決意したのは、30歳のときです。
自分で店を構えるだなんて、まだ夢のように考えていたころ。飲食業界のいろはも右も左もわからぬ、駆け出しの見習いからのスタートでした。
そんな見習いからのスタートで、私はこれまでに3店のラーメン店に出会い、それぞれのお店で本当に貴重な修行・経験を積ませて頂きました。

まずは1店舗目、2店舗目―
2店とも豚骨ベースのスープのお店で、ラーメンというものの基礎の基礎を、約2年間かけて叩き込んでいただき猛勉強させていただきました。
このころはまだ、今の塩ラーメンに賭けるような「情熱」を持つこともままならないほど、目の前の作業に追われる毎日だったことを昨日の事のように思い出します。
2店舗目で、がむしゃらにひたすらにその店のラーメンを作り続け、元来の真面目な性分も買われ、こちらのお店では一つの店を任せてもらえるまでに成長させていただきました。

そして3店舗目―
これまでの経験を活かして、こちらでは約4年半もの間、お世話になりました。
そんなある日、私は当時の上司に腕を買われて、店長としての店の切り盛りだけではなく、ラーメンそのものの「味の研究」も任されることになったのです。
「たかが…されど…」という言葉がありますが、ラーメンはまさにその言葉にぴったりで。
味の研究を重ねるたびに、こんなにも庶民に親しまれている食べ物の"底知れない奥深さ"に、改めて驚かされる毎日でした。

修行3店舗目のお店で味の研究をさせて頂くようになって、2年もの歳月が流れました。
その間、試行錯誤でラーメンの新メニュー開発に没頭した私は、ついぞとても美味しいラーメンを作ることに成功したのです。
それは、私の自信作・こだわりの"醤油ラーメン"です。
しかし…。

私のラーメンに対する想いが強すぎたのか、味は確かに美味かったのですが、販売するには不向きなものとなってしまいました。
それは、コスト(原価)です。
コストが考えていたよりも掛ってしまう為、その当時の上司には、販売していくことを反対されてしまったのです。
本当に美味しいものが作れただけに悔しかったのですが、商売というものの厳しさも同時に学ばせていただきました。

総大醤、開店。
これまで3店のラーメン店で修行を積み、遊ぶ間もなく働き続けてきました。
30歳でラーメンに懸けると誓ってから、とうとう7年もの歳月が過ぎました。
その間、自分の貯金も目標にしていた1000万円に到達し、いよいよ"夢"の実現が目の前をチラつきます。

―それは"独立"。
迷いはありませんでした。
これまでの7年で、本当にたくさんのことを教わったからです。
そして。
私には、あのラーメンがありました。
私の自信作・こだわりの"醤油ラーメン"です。
あの時はついに商品化にまでは至らなかったものの、その後、味を落とさずにコストだけを下げるという課題もどうにかクリアできました。
自分の納得のいく味、この醤油ラーメンの味を一緒に連れて行こう。そう心に決めたのです。

そして、平成16年1月11日。
ついに私は、私のラーメン店をオープンさせる事ができました。
名前は『醤油処・総大醤』。
私の"想い"を…名前に込めました。

想いが伝わらない。
『醤油処・総大醤』は、想像していた以上に順風満帆でした。
自分の作ったラーメンの味に対して絶対の自信もありましたが、何より有り難かったのは、開業後およそ2週間にしてテレビ取材を受けたことです。
MBS毎日放送『魔法のレストラン』という番組の『あったか麺スペシャル!!』の回に、総大醤を取り上げていただけたのです。
この事もあって、12席用意されたカウンターは、毎日・常に満員御礼。店の外には行列ができるほどでした。
売り上げも好調で、テレビ効果もあってお客様は一気に押し寄せましたが、開業後5ヶ月経った6月になるころには、店もようやく落ち着きを取り戻し始めました。
当然のことながら売り上げは少し落ちましたが、それでもまだまだ好調です。

―だけど。
厨房で忙しく立ち続けていたふとした瞬間、私はある"違和感"を感じてしまったのです。
その違和感の答えは、お客様の食べられた後、スタッフが下げてくれたラーメン鉢の中にありました。
"お客様が、スープを残している…!?"

本当に美味いラーメンなら、スープまで飲み干してもおかしくない。
でもお客様はみな、一様にラーメンの麺だけを食べて店を出て行かれます。
ラーメンは、麺も具材も、そしてスープの一滴も含めて、すべてがラーメンです。
それなのに…。
自分の開発したラーメンに対する絶対の自信が…音を立てて崩れていくのを感じました。

味の改良。
開業後、売り上げもそこそこ好調を維持できていたので、私は"あぐら"をかいていたのかもしれません。
長い時間をかけて開発したあの醤油ラーメンは、誰にも負けない!と。
だけどラーメンは"生き物"です。
常に手をかけてやらないと、ダメになってしまうのです。
私は、自分のおごりを反省しつつさらに美味いラーメンを作る為に、味の研究を再開させました。
思い切って大胆に味を変えてみたり、新たな素材を加えてみたり、分量の増減、炊き方や調理時間…今、私ができるすべての事をスープの味の為に費やしました。
そしてまた納得のいく醤油ラーメンが出来上がり、店の看板の味として販売することとなったのです。
そのラーメンの味に対するお客様の反応は良く、問題のスープについては…飲み干して下さるお客様が以前に比べ圧倒的に増えたのです。
私は安堵のため息が出ました。
開業後1年半経って落ち着いてしまっていた店の売り上げは、こうしてまたじわじわと上がっていくようになりました。

思わぬ事故。そしてそこから学ぶこと。
―また忙しい日々が始まるな。
新しいラーメン開発がうまくいき、そう思っていた矢先のことです。
私は不運にも、交通事故に遭ってしまいました。
ラーメン店主にとって、"腕"は商売道具の一つ。
それなのに、私はよりによって鎖骨と肋骨を折る重傷を負ってしまったのです。
しかもそれは、"右"でした。右腕を思うように動かせない…こうなってしまっては、とてもじゃないけどラーメンを作ることはできません。
私は仕方なく、店を24日間だけ閉める事にしたのです。

働きたくても働けない、24日もの間。
私は動かない腕を見つめながら、いろいろと考えさせられました。
店のこと、いつも来てくださるお客様のこと、一緒に頑張ってくれる仲間のこと、食材業者様の事、自分の家族のこと、そして自分自身…。
あらゆることを思い返しました。
自分が今まで自信に満ち溢れて働いてこられたのも、自分自身に係わるすべての人々の協力があったから…ということ。
けして自分ひとりのチカラではないのだ…ということ。
当たり前だと思っていた風景が、けして当たり前ではないのだ…ということ。
ショックでした。わかっているつもりでした。
だけど…。
この事故をきっかけに、私は世の中のすべてのことに対して"感謝"できるようになりました。

その後。
怪我からなんとか復活し、また店で腕を振るえる日々が戻りました。
あの事故からあらゆる事に感謝できるようになった私は、おそらく私自身の雰囲気も変えたのでしょう。柔和になったとでも申しましょうか…人間としてごく自然な笑顔が増えるようになりました。
自分の雰囲気が変わると、物事は、それと共に変わっていきます。
ラーメンの味を変えて戻ってきたお客様の足が、接客態度の向上でさらに多く戻ってきてくれたのです。
店の売り上げは、絶好調。
本当に有り難い、すばらしい日々となりました。

子供の存在。
仕事が順調で忙しく、家族…特に子供と関わる時間がなかなか取れなかったあの頃。
せめてもと、店がヒマな時間帯に、娘にラーメンを作ってあげることが私の楽しみでした。
「今日は何が食べたい?」
「塩ラーメン!」

醤油ラーメン、味噌ラーメン、その他にもメニューはあります。
でも娘は、決まっていつも"塩ラーメン"。
私が作った熱々の塩ラーメンを、娘は目を輝かせながらその小さな口で食べ、こう言うのです。
「お父さんの作った塩ラーメンは、スープまで美味しいね!」
…心が痛みました。
なぜなら、当時、私が作っていた塩ラーメンは、化学調味料(添加物)が加えられたものだったからです。
化学調味料は、人間の舌をいとも簡単に満足させます。だけど添加物は、たとえ安全といわれているものでも、それが体内でどんどんと蓄積されていきます。そしてそれらが組み合わさったときにどのように変化していくのか、また次代にどのような悪影響をもたらしていくのかは、実のところまだわかっていないことが多いというのです。
そのようなものを、愛する娘が目を輝かせながら食べるということを、ひとりの親としてどうしても見過ごすことはできませんでした。
"美味しければ、味だけでいいのか…?"
親として娘のことを案じながら、と同時に、ひとりの調理人として考えていました。
化学調味料の入った料理を、来てくださる大切なお客様に出してしまっているという事実。
そのことを、自分自身でも受け入れ難く感じるようになったのです。

塩元帥、開店。
私は娘のことをきっかけに、料理の"味"だけではなく、食に対する"安全"も意識せずにはいられませんでした。
そして。
"小さな自分の子供が毎日食べても安心できる、そんなラーメンを作ろう。"
"お越しいただくお客様の健康にも配慮したラーメンを作ろう。"
―私は、こう決意するようになったのです。
それからというものの、どこのラーメン店よりも美味しくて、尚且つお子様からお年寄りの方までもが安心して食することのできるラーメン…
いわゆる"無化調ラーメンを作る"ということを目標に掲げ、試行錯誤を繰り返しました。
そんな研究開発もいつも順風満帆とはいかず、時には行き詰り、自分だけではどうすることもできず挫折しかけたことも何度もありました。藁にもすがる思いで、食に精通した方々の助言をいただいたりすることもありました。
そんな2年以上にもおよぶ紆余曲折を経て、ついに無化調ラーメンに必要な天然素材40種類を見つけることができたのです。
そこからの私の"無化調"へのこだわりは、スピードを増していきました。
スープが無化調ならば麺もまた然りで、防腐剤などは一切使わず、すべて自分の目の届く店の中で製麺するようにいたしました。
そのほか、ネギや香味油やチャーシューなどのトッピングもまた、具材に強いこだわりを持っています。
このようにして、40種類の天然素材・自家製の麺・こだわりの具材をトッピングしたラーメンが出来上がりました。そして特に、誤魔化しのきかない"塩ラーメン"は、作った私自身も驚くほどの絶品の味に仕上がったのです。
安心・安全、そして本当に美味いラーメン。
この3つを合わせ持った"天然塩ラーメン"を、もっと多くの方々に食していただきたい。

―こうして。
平成19年11月26日。
奇跡の天然塩ラーメンを引っさげて…
ついに、『塩元帥』をオープンさせることになりました。

さいごに。
奇跡の天然塩ラーメン…と書くと少し大げさだったかもしれませんが、私にはそれだけのこだわりがありましたし、ラーメン自体もそれにきちんと応えてくれました。
世の中の微妙な空気の流れに沿って、これからも味は良い意味で変わっていくでしょうし、
またそれをひとつの楽しみとしていただければ幸いです。
より安全で美味しいものを社会に提供していくことは、私にとっても生きがいです。
この想いを忘れることなくこれからも精進してまいりますので、ぜひ皆様、塩元帥に一度足をお運びくださいませ。たくさんの皆様のご来店をお待ちしております。




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