後悔しない人生を

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京田辺塩元帥オーナー谷池です。

いつも沢山のお客様に支えられ充実した日々に感謝の気持ちでいっぱいです。

今月でオープンして一年半が経ちました。沢山の仲間と沢山のお客様に愛されて、こんなに幸せなオーナーもなかなかいないと思います。

私は32歳で塩元帥に入社させていただいたのですが、それまで数回の転職をしました。その中で25歳の時ラーメン屋に就職し自分の中では必死にやってきたつもりですが、精神面の弱さから店長になる事が出来ませんでした。今でもこの時のことをよく思い出すのですが、例えその時運よく店長になっていてもすぐに挫折していたと思います。

その後に配属された店で人の大切さ、人のありがたみがわかり、すべて当たり前ではないことを身をもって経験する事が出来ました。

今まで自分が歩んできた人生に後悔はありません。沢山失敗し、沢山の反省をしてきましたが今まで自分が歩んできた道があるからこそ、今の自分があるんだと思います。

今月の店長会議で大将が教えて下さいました。5年後、自分が振り返った時に自分に言い訳するような人生を歩まないこと。この言葉を肝に命じて5年後も自分の歩んできた道でよかったと笑顔で話せるように毎日を真剣に生きていこうと思います。

誰??

 

A

最近暑くなってきましたね!

最近本当に痩せたいと思う法隆寺店 浦出です\(^o^)/

この前帰ろうとしたら、厨房の電気がついていたんです!

消し忘れかと思いましたが、あれ?

誰かいる・・・

ひょっとして オバケ・・・?

そーっと覗いて見ると・・・

Bやっぱりオバケやーーー!

ではありませんでした^^

社員の山浦さんがスープの計量の練習をしていました(^Д^)

最近よく練習をしているのを見かけます。

頑張れ山浦さん\(^o^)/

 

 

夜会・・・。

お楽しみ様です!東近江店店長の田中です(^^)

梅雨のど真ん中、体調管理の難しい季節ですが、いかがお過ごしでしょうか?

先週金曜日、営業終了後に店内会議が開かれました。遅い時間にもかかわらず、沢山の有志達が集まってくれました。DSCF1254

まずは論語から、良い国はトップが動かなくても、その下の人達が店をまとめていると言う事を学びました。

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そして、今月から東近江店の独立社員として、力を貸してくれる事になった今蔵さんから、前店舗の非常に勢いのある姫路店での取り組みをおしえてもらい、
早速実践しましょうと盛り上がりました( `ー´)ノ
DSCF1278新しい仲間が増え、切磋琢磨しながらスタッフが喜んで働ける職場を目指して、

今日も全力で頑張ります!

最後は、佐々木副店長特製のキムチ鍋で更に熱くなりました(^^♪
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う~ん良い笑顔をいつもありがとう!

昇格情報!(東近江店 独立オーナー)

今回の昇格情報は4月より独立されました東近江店の田中比呂宜店長を

ご紹介致します!

 

 

田中店長2〇田中店長、自己紹介をお願い致します。(趣味などお聞かせ下さい。)

大阪府枚方市出身です。

趣味は音楽鑑賞、演奏をします。(もうしばらく演っていませんが・・・)

高校生の頃、ジミヘン(Jimi Hendorix)に出会ってから、黒人音楽の虜です。

 

〇塩元帥に入社する前はどんなお仕事をされていましたか?

ラーメン屋で働いていました。

 

〇努力した点は?

三大原則です。誰よりも大きな声で挨拶してきました。

 

〇独立までにかかった期間は?

3年4ヶ月です。

 

〇塩元帥で成長した部分はありますか?

常に前向きに物事を捉えるようになりました。否定的な言葉、単語は

一切使わなくなりました。

 

 

〇独立後の意気込みを聞かせて下さい。

一杯のラーメンを通して、いっぱい(たくさんの)幸せを

お届けできるように、そして地域社会に貢献し、盛り上げる一翼を担いたいです。

 

〇応募を考えている方へのメッセージをお願い致します。

あなたの色んな想いをぶつけて下さい!

その想いに応える事の出来る会社です!!

ぜひ一緒に最幸の一杯のラーメンを作りましょう!

 

会社名を株式会社和音(わおん)とされましたが、音楽好きな田中店長ならではの

素敵な会社名ですね(*^^*)

ありがとうございました。

 

 

昇格情報!(岐阜店 独立オーナー) 

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今回の昇格情報は4月から独立オーナーになられました岐阜店の

谷口 将隆店長です!(^^)!

〇谷口店長、自己紹介をお願い致します!

株式会社 塩仁(えんじん)代表取締役 谷口 将隆と申します。

兵庫県神戸市出身 昭和55年5月生まれです。

趣味は体を動かすのが大好きです。

ちなみにラーメン屋さんもスポーツだと思っております(^^

 

〇塩元帥へ入社する前はどんなお仕事をされていましたか?

ショットバーを営んでおりました。

〇努力をした点はありますか?

努力という意識はあまり無く、とにかく仕事が楽しかったので、思いきり

楽しみました。

 

〇独立までにかかった期間は?

2年と6ヶ月です。

 

〇塩元帥で成長した部分はどんなところですか?

ラーメン屋さんで必要な技術は勿論のこと、それ以上に自分自身の心と忍耐を大きく成長させてくれました。

 

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〇独立後の意気込みを聞かせて下さい。

私は大きなチャンスとステージを与えて頂きました。

次はこのステージを最幸のものにし、お客様に喜んで頂き、

共に働いてくれるスタッフに夢やチャンスを与えていける会社にします。

 

〇応募を考えている方へのメッセージをお願い致します。

不況と言われる現在の日本ですが、そんな事を全く感じさせない魅力がある会社です。

正直にやるべき事をやれば必ず結果はついてくるのだと感じて頂けると思います。

「世の中」ではなく、「自分の中」が人生を決めるのだと教えてくれました。

塩仁(エンジン)全開で一緒に全力プレーして頂ける方を心よりお待ちして

おります。

 ↑

塩仁でエンジンだなんて発想がすごいですね(^^♪

谷口店長ありがとうございました!

 

 

昇格情報!!(小野店 独立オーナー)

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今回の昇格情報は3月から小野店の独立オーナーとなられました

藤原 敬典店長です!(^^)!

 

〇藤原店長、自己紹介をお願い致します。

兵庫県西脇市出身です。

趣味は洋服集めと犬が大好きな独身です(^^

 

〇塩元帥に入社する前はどんなお仕事をされていましたか?

居酒屋で働いていました。

 

〇努力した点はどんなところですか?

店の方向性や自分の考えをスタッフに明確に伝えて、有言実行してきたことです。

 

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〇独立までにかかった期間は?

4年と3ヶ月です。

 

〇塩元帥で成長した部分はありますか?

何事も全力で取り組むことと素直さと謙虚さを学び、成長できました。

 

〇独立後の意気込みを聞かせて下さい。

会社名を株式会社「元氣」にしました。

元氣の【氣】は本氣、氣合い、氣迫など強い氣持ちを表す表現です。

強い氣持ちを根元にという意味での元氣です。

そんな強い【氣】でいい波動を起こし、素直な心と謙虚な心で塩元帥の看板を守っていきます。

 

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〇応募を考えている方へのメッセージをお願い致します。

私事ですが、4年間のうち私自身の力不足により、店長を降格しました。

しかし、そんな私を寛大な気持ちでリベンジできるチャンスを大将が下さいました。

そして周りのスタッフにも支えられて壁を乗り越えられました。

壁を乗り超えられた時、夢のステージ(暖簾分け)が待っていました。

夢は叶うものではなく叶えるものです。

総大醤・塩元帥全力グループは只今23店舗です。

100店舗、日本一幸せなラーメン屋を目指してします。

夢を叶えるチャンスがたくさんある魅力ある会社です。

あなたの夢を叶え、幸せになれるラーメン屋、塩元帥です。

 

 

 

 

暖簾分け店主 【京都店 金谷 章夫:H23年4月独立】

金谷店主

 

前職は?

 

前職も飲食業に携わっておりました。

個人の中華店を9年と、チェーンのラーメン店を9年、合わせて18年勤めさせて頂きました。

2店舗目のラーメン店では、役職として主任を任されていました。

転職した理由は?

 

2店舗目の会社の営業不振により、転職を余儀なくされました。

なぜ塩元帥を選んだのですか?

 

私自身「醤油ラーメン」が大好きで、多くのラーメンを食べ比べをいたしました。

その中でも総大醤のラーメンが一番美味しく、私にとって衝撃的でした。

働くならここしかない!と、味で決めたようなものです。

応募のきっかけは?

 

4年半前、たまたま手に取った飲食業界の求人情報雑誌に、塩元帥の情報が掲載されておりました。

働きたいと思っていた会社だったので、すぐさま応募させて頂きました。

修行時代はどのような感じでしたか?

 

ここで働きたい!と強く思って入ったラーメン店でしたので、修行時代も大変だと感じたことはありません。

あらゆることが刺激になり、とても良い勉強をさせていただいたと思っております。

しかしながら前職のラーメン店の働き方が身についてしまっている分、戸惑いはたくさんございました。

”カウンターしかない”という店のスタイルです。

お客様の目が常にこちらを向いていて1秒たりとも気を緩められないことは、以前のラーメン店ではなかったことです。

本当に戸惑いましたが、前職の仕事のスタイルのままでは塩元帥では通用しないということを

身をもって知らされました。

ですので、塩元帥に来てくださる”通”で”こだわり”を持ったお客様に満足してもらえるような働き方ができるように、

前職の18年分の凝り固まったプライドはかなぐり捨てたのです。

そのおかげで、以前から大将に指摘されていた”キミの接客は、お客様へ感謝の気持ちが込められていない!”

という課題も克服され、あらゆることへの感謝の気持ちを心から持てるようになったのもこの時代です。

店長時代の苦労したことは?

 

この時代の苦労は、ひょっとしたら皆様が通る道かもしれませんが…。

人材教育…つまりは”人への指導”についてです。

社員は私同様、ラーメンへの熱い想いを持って入って来られてる方ばかりなので手を焼くということはありませんが、私が苦労したのはアルバイトさんです。

店長になってからの私は、本当に怒ってばかりでした。

自分の考えと合わないと怒る、成長が見られないと怒る、ミスがあると怒る…怒る…怒る…。

反省や指導で、終礼も延々と続きました。 そしてその結果、”その子のため”と思って指導をしたはずのアルバイトスタッフがあっさりと店を去っていくのです。

店長として売上もあげないといけない、結果を出さないといけない、だけどスタッフの心がまとまりません。

私の指導方法は、あきらかに間違っていました。 そこで、藁にもすがる思いで上に相談し、指導方法を伝授していただいたのです。

「怒らない指導法」です。 すると店の雰囲気は一変し、皆の心が驚くほど一つにまとまるようになりました。

これは店長時代に一番学んだ良い経験かもしれません。

あと店長として実務面での苦労は、会社へ提出するレポートの数々です。

私自身パソコンや文章作成が苦手なので、これはいつも苦労いたします。

自分自身が塩元帥で成長した部分は?

 

1番に言えることは、”感謝の心”を持てるようになったことです!

以前のラーメン店までの18年は、今から考えればただ単に仕事をこなしているだけでした。

仕事も楽しくないし、時間が経つのも遅かった…。

ですがこちらで働かせて頂くようになり、仕事とはこんなに楽しいものかと毎日が発見の連続でした。

自分の人間力を高めたいと思えるようになったし、何より人のために働くことの有難さを感じられるようになりました。

それを気づかせてくれた会社にも、来てくださるお客様や取引先様にも、支えてくれる家族・友人・スタッフ…すべての人・モノ・コトに感謝しております。

人間関係、人材教育で驚いたことは?

 

こちらの会社で驚いたことは、みんなの見ている方向が同じであるということです。

会議やレポート、朝礼、終礼、3大理念・3大原則…すべてにおいて、大将の教えが徹底して周知されています。

大将の仰ること・行動には一貫して筋が通っており、また明らかに正しいことを仰るので、皆が尊敬しております!

味へのこだわりで驚いたことは?

 

自分も調理に携わって初めて目の当たりにしましたが、本当に全てが無化調・無添加スープ・自家製なのです!

マヨネーズも厨房で作っていますし、雑魚もきちんと絶妙な配合の調味料で炊いてます。

ネギは切ったものを仕入れるのではなく自分達で切りますし、全ての仕込みが自分達でしなければいけません。

私も長く飲食業界にいますから、ある程度業者に任せたものを仕入れたほうが早いのでは?と思ったことがあるのも事実です。

ですが、それでは”大将の想い”から外れてしまうのです。

時間はかかりますが、本当に美味しいもの・安全なものをご提供するには、ここまでしないとダメなんだと勉強になりました。

暖簾分け店主になることで生じた苦労は?

 

夢である自分の城が築けた!という喜びにひたれるようなゆっくりした時間は、まだありません。

ですが、充実感でいっぱいでございます。

やることも多く、給料計算から取引様への支払い・帳簿付けなど…経理関連の仕事もこなさなければなりません。

また求人の段取りや面接、採用後の教育など…人事関連の仕事もたくさんあります。

4月に独立させて頂いたばかりで大変ではありますが、とてもヤル気でいっぱいです!

実際のところ、収入も上がりました!

暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?

 

店長時代にももちろんありましたが、それとはまた”異質”の責任感が芽生えました。

暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?

 

これは本当に大きく違います。

イチから自分でラーメン店をオープンさせ繁盛させるということは、並大抵の人ではできません。

ですが暖簾分け店主は、お客様のご支持が多くある”自分も心底惚れているラーメン”で勝負が出来ます。

塩元帥の店長として軌道に乗せたラーメン店で、引き続き自分の店として勝負ができるのは本当に有難い話です。

 

暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?

 

もちろんあります!

私を成長させていただいた会社ですので、そのご恩は引き続き何らかの形で返していくところでございます。

会議にもまだまだ出席させて頂いておりますし、困ったときはアドバイスもいただいております。

レポートの提出も継続いたしますし、売上の報告も行っております。

何より大将の掲げた3大理念・3大原則は、続けていきたいですね。

オーナー会にも今後は参加をさせて頂こうと思っております。

先々の夢はありますか?

 

まずは遠くばかりを見ずに、しっかりと足元を固めようと思っています。

そして自分のように、多くの社員が羽ばたいて行ってくれることを望みます。

大きな夢としては、いつかは大将のように自分発のオリジナルの飲食店を出したいです。

これからチャレンジされる方へのメッセージ

 

まずはこのホームページを熱心に読んで下さっている方へ…”ようこそ!幸せの会社へ!”と言いたいです。

穴が開くほど読まれている方は、きっとその気持ちも伝わるかと思います。

ぜひ頑張って夢の実現を叶えて欲しいと思います。

頑張ってよかったですか?

 

良かったです! これまでの自分、これからの自分を見つめることができましたので。

大将はどんな人ですか?

 

雲の上の存在です。 それでも親しくしてもらえているのは、本当に嬉しく思っています。

このままの大将でいてください。 どうぞ変わらないで下さい。

暖簾分け店主 【高槻店 松間 一郎:H23年10月独立】

   高槻店 松間店主1
前職は?

前職は2つあります。 最初の就職先は、飲食業界ではなく旅行会社でした。 次に勤めさせて頂いたのは、個人経営のラーメン屋です。 ここで5年ほど修行させて頂いて、2010年6月に塩元帥に入社いたしました。

転職した理由は?

私は旅行関係の専門学校を卒業後、タイ(バンコク)の旅行会社に就職しました。 この会社は現地のツアーガイドを派遣する会社で、熱く頼りがいある上司の元、営業として8年間勤務いたしました。 日本(大阪)にも支社がある企業だったので、私は大阪の仕事も任され、とても充実した会社員ライフを送らせていただきました。 ちょうどその頃の私ですが、ちょっとした趣味を持つようになりました。 それは、ラーメン好きとして、美味しいラーメンを食べ歩くことです。 タイから大阪に戻ると、美味しいラーメンを食べることが楽しみになったのです。 大阪を中心に東京や他の地域にも足を延ばすようになり、美味しいラーメンがあると聞きつけては食べに行き… 気がつけばラーメンの世界に心が傾いていきました。 そのうち、食べに行くだけでは事足りなくなり、家で自作ラーメンを作るまでになっていったのです。 (素人の独りよがりですので、もちろん売り物になるものは出来ませんでした。。 今も当時のレシピを持っており、 懐かしく見返すこともありますが、やはり人に見せることはできませんね^^;) この自作ラーメンを作り始めた頃には、ラーメン屋として生きていく決意が私の頭の中に確立されていました。 そして仲間や家族に強く止められながらも、自分の人生を自分らしく生きるため、 ついにラーメン屋に転職することを決意し、会社を辞めさせていただいたのです。 今思うと、なぜ充実した会社員生活から方向転換できたのか不思議ですが、 これが運命というものなのかなと今は解釈しています。 これが最初の転職理由です。 次の就職先は個人経営のラーメン屋です。 自分で独立した店を出すことを目標に退職したわけですが、流石に店を繁盛させるラーメンを作れるわけでもなく、 接客や店舗運営などのノウハウを何も知りません…。 ですので、自分にはまず修行が必要不可欠だと思いましたので、自分が食べ歩いた中で 勢いのある京都のラーメン屋(塩元帥とは全く関係ないお店です)に 就職させて頂きました。 この店は、店長がとても厳しく、スタッフも店長に鍛えられているのでピリッとした雰囲気があります。 私は、”闘将”と呼ばれる野球の星野監督の大ファンですので、そういった強く厳しい店長に憧れ、ここを選びました。 もちろんラーメンも納得のいく美味しさで、凄い行列のできる人気店です。 更には自然素材・自家製麺などの手作りにこだわっており、これも私の方向性と一致してしていました。 修行するには十分な条件が揃っていましたので、この店で私は5年間勤務(修行)することになります。 このラーメン店の店長は、元和食の料理人ということで、筋金入りの厳しい方…。 最初は洗い場の仕事や先輩の包丁研ぎなどの雑用ばかり。厳しく長い下積みをクリアしなくては先に進めない、 仕事は先輩や店長から盗みながら覚えていくという昔ながらの方針だと思います。 (スープを触らせて貰えたのは働き初めて2年後だったと思います) 私は厳しい環境が苦手ではないので、そういった職場環境でもめげることなく修行に精を出しました。 そして何より、ラーメンそのものが好きでこの業界に入ったわけですから、ここで多くの技を習得し、自分が独立するための足がかりを得なければなりません。 その思いを抱きながら一生懸命働き、5年経つ頃には、全てを任せて貰えるようになっていました。 ”さあ、独立!”とも考えましたが、やはり先に進む不安は尽きません。 ですから、もう1店舗だけ経験しようと思い、独立前の最後の修業先を探すことにしたのです。 これが前職の転職理由です。

なぜ塩元帥を選んだのですか?

京都のラーメン屋を退職後、最後の転職先を探し、東京・大阪の様々なラーメン屋を食べ歩きました。 その中で私の目に止まったのが塩元帥グループの醤油ラーメン店・総大醤です。 圧倒的に美味しく、活気ある雰囲気に魅了され、”ここで働きたい”と連絡をさせていただきました。 しかし、当時、タイミングが悪く総大醤は募集をしておりませんでした。 その際、塩元帥は募集しているので、そちらに行ってみたらどうかと総大醤の店長にご提案を頂いたのです。 そして、ホームページの求人情報などをじっくりと読み、塩元帥に応募させていただきました。 納得いくお店で働きたかったので、塩元帥のラーメンももちろん食べに行きましたが、 その味がとても衝撃的だったことを今でも覚えています。 総大醤の醤油ラーメンも美味しかったですが、塩元帥の塩ラーメンも自分が知っている中でナンバーワンの美味しさがありました。 もうここしかない。。ここで勉強できなければ、また全国に修業先のラーメン屋を探しに行かなくてはならない。。 絶対に落とされるものか!と言う強い想いで面接に臨みました。 面接は塩元帥の大将(高橋)がしてくださいましたが、とにかく必死で自分の想いを言い残しがないよう、 全て出し尽くしました。その想いは伝わったようで、結果、塩元帥に入社させていただくことになったのです。 最近、大将と話すと、”お前の面接は本当に長かったよ”と言われます。 でも、それほど私は必死だったのです。

応募のきっかけは?
  上にも書かせていただきましたが、総大醤と塩元帥のラーメンの美味しさ、 あとはホームページに書かれていた大将の言葉です。

修行時代はどのような感じでしたか?

  自分独自のラーメン屋で独立するために、最後の修行の場として臨みました。
最初の配属先は鶴見店(新規オープンでしたので、大将も店に入り、暫く一緒に働かせていただきました)

とにかく”ラーメン屋で独立開業するためのノウハウを、ここでしっかりと身につける” という意識で一生懸命働きました。 しかし、ここで前の職場との驚くべき違いに気付きました。 それは、とにかく大将もそうですが、会う人会う人、皆がとても優しいのです。 しかも、入り立てであっても何でも教えて貰うことが出来るのです。 正直、拍子抜けしてしまったくらいです。 こんなに短期間でこれだけのことを教えて貰って良いのか。。これでは修行と言うより、とても勉強になる学校みたいな場所じゃないか。。 そんな毎日が学びでみるみると自分の成長を感じている中、更に驚かされたことがあります。 それは、自分の給料が上がっていくのです。 オープンな大将や仲間に沢山のことを教えて貰い、こちらとしては申し訳ないくらいなのに、給料まで上がっていく。。 労働時間も前職より短くルールが決められています。 賄いも椅子に座ってゆっくりと食べる時間が貰えます(前職ではしゃがんで急いで食べることが多かったです) こんな職場があるのか。。と、日々、考えさせられ、徐々に自分の意識も変わっていったように思います。 ”塩元帥の店長や暖簾わけ店主を目指しているのではない、自分独自の店を出すんだ” 修行の場として考えていた私の意識はぐらぐらと揺れてきます。 無添加で美味しいラーメン、優しく人間性の優れた仲間、ルールを守った雇用環境、暖簾わけの魅力。。 非の打ち所の無い魅力に日々囲まれ、自分の意識が揺れる中、 大将から”店長にならないか?”とオファーがありました。 私が働いていた鶴見店の店長が異動になるので、私が店長候補に挙がったとのことでした。 迷いましたが、私には”初志”がありますので、この時は店長になることはお断りさせていただきました。 そしてまた暫く働いていると、今度は半年後に小野店の店長にならないか?と大将から提案されました。 ここでも迷いましたが、やはり。。また断ってしまいました。 そして、1年と4ヶ月後、今度は高槻店の店長にならないかというオファーが来ました。 これもとても迷いましたし、特にこの時期は私が大変お世話になった京都店の金谷店長が 独立を目指している時期でしたので、金谷店長への恩返しとして、しっかりと独立まで 副店長として貢献したいという強い想いがありました。 しかし、大将の猛烈なプッシュがあり、金谷店長も”お前の人生も大事やからそうしたら良い”と言って貰え、 高槻店の店長になることを引き受けました。 金谷店長への恩返しは今後必ず、別の形で成し遂げたいと思います!! ”私独自のお店を独立開業させる”という夢に関しては、塩元帥を暖簾わけしていただいた後、 ”軌道に乗れば、その時に 余裕のある資金でセカンドブランドとしてチャレンジすればいい”と 大将から言っていただけたので、その夢は少し未来の楽しみとして取っておきたいと思います。 何より、この素晴らしい塩元帥グループでまだまだ多く(技術・接客・心の持ち方)を学びたいという気持ちが、 私の意識を変えたのだと思います。

店長時代の苦労したことは?
  店長時代の苦労は、アルバイトさん、パートさん、社員さんを上手くまとめることが出来なかったことです。

これは、私が厳しくし過ぎたことが原因だと思います。 塩元帥はとても優しい人間の集まりで、そういった中で育てて貰ったのですが、 やはり私の頭の中の理想のリーダー像は厳しく頼りがいのある”闘将”だったのです。 なので、お店のスタッフには厳しく接し、店内にピリッとした空気を張り巡らせ、 そんな中で自分は がむしゃらに仕事をし、自分の背中を見せることでスタッフを育てていく方針をとりました。 しかし、そんな私の想いは通じず、1人辞め、2人辞めと徐々にスタッフが辞めていきました。 誰も私についてきてくれなかったのですね。 スタッフが辞めると店の雰囲気も暗くなるためか 売上も下がっていきます。 その状況を打開すべく、アルバイト募集の求人広告を出しましたが、反響が全然ありません。 とにかく色々なものが空回りで、袋小路に入り込んだ形になりました。 そんな時、大将が話をしてくれました。 ”店を立て直したいか?” ”店の売り上げを元に戻し、更に上を目指したいか?”勿論、わたしは”はい”と答えました。 その際の大将のアドバイスは、”目の前の人を幸せにすることに、自分自身が全力をつくすこと”でした。 勿論、私が厳しくしていたのはスタッフを育てるためですし、スタッフの幸せも願ってのことでした。 しかし、結果を見ると私の厳しさによってスタッフは怯え、モチベーションを下げ、 幸せとはかけ離れた状態になっていたのです。 厳しい環境で強い集団がつくれると私は思っていましたが、それは完全に正しいことではなかったのだと今は気付けました。 過剰な厳しさがスタッフを幸せにするものではないことを学んだ私は、とにかく目の前のお客様、スタッフ、家族を 幸せにすることだけを考えて全力で仕事をしていました。 暫くは結果が出ませんでしたが、半年後、自分でも驚くほど状況は好転。 気がつけば、辞めるスタッフがいなくなり、店の雰囲気が明るくなってました。 アルバイトの募集を出せば、しっかりと反響も出ます。 そして、売上も元に戻り、更に上がり続けていきました。 店長になってスタッフへの接し方で苦しんだ辛い1年間は、とても良い勉強でした。 これからは、”目の前の人を本当の意味で幸せにする”ということの方向性を間違わずに 行動していきたいと思います。

自分自身が塩元帥で成長した部分は?

ひと言で言えば人間力です。 塩元帥に来るまでは、技術ばかりを追い求めてきましたが、人間力の大切さはここに来て初めて分かりました。 人を大切にすること、心からスタッフを信じること、目の前の人を幸せにすること、怒ることに意味はないこと、 悩みをきちんと聞いてあげること、きちんと接すると皆の意識が変わり分かり合えるコミュニケーションが現れること。 闘将・熱血漢は今でも好きですが、やはり時代に合わせることも必要ですし、何より目の前の人の幸せを 心から考えて接すると、今行うべき正しい指導というものの本当の姿が見えてくると思いました。

人間関係、人材教育で驚いたことは?

”スタッフを信頼し怒らない教育”が徹底されていること。 そして、このスタンスによってこれほど上手くいくのかと言うことに驚きました。 あと、これはシステムですが 未経験者でも安心して進んでいけるカリキュラムがしっかりしていることにも驚きました。 私は経験者として塩元帥に来ましたが、多くの未経験者が短期間で活躍していく姿は本当に凄いと思います。 また、そのカリキュラムは、指導者によって柔軟性を持たせることが出来、早い人も遅い人にも 対応することが可能です。人間関係、人材教育とは違いますが、求人の難しいこの業界で ドンドン人が集まっている今の状況も凄いと思います。

味へのこだわりで驚いたことは?

無添加でここまで美味しいラーメンができることそのものが驚きです。 一杯のラーメンを作るのに、ここまでこだわるのかと思わせられる徹底ぶりが凄いです。 具体的に少し紹介すると、チャーハンを炒める油も市販品ではありません。 チャーシューをつくる際、豚バラから取れる油を使って炒めてます。 製麺は湿度・温度を常に正確に測り、かん水の入れる量を微妙に調整しています。 これは、温度や湿度のちょっとした差(季節変動)が麺の質に影響するために行っていることです。 こられはほんの一例で塩元帥の作業は全てがこのような調子です。 端から見ると 面倒くさいことをしているように思われるかもしれませんが、 本当に美味しいものを毎回同じ味で提供するためには こういった小さな取り組みの積み重ねがとても大切になるのです。

暖簾分け店主になることで生じた苦労は?

デスクワークが増えたことです。 経営の勉強もそうですし、経理の作業もなかなか大変です。 現場が好きで数字を追いかけたりすることが苦手な私には、乗り越えなくてはいけない壁だと思っています。 困る度に、大将には相談させていただいています。。 暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?   これまでは大将が自分たちを守ってくれていましたが、 今は自分が高槻店のスタッフを 守っていかなくてはならないと思うようになりました。 私を慕って入社してくれた正社員スタッフもそうですし、アルバイトさんパートさんも本当に大切な仲間です。 皆が、納得できる未来を手に出来るよう、精一杯、力を注いでいきたいです。 暖簾わけ後の変化はこの仲間への想いにつきます。

暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?
  資金・レシピ・接客・実績のある味、暖簾わけはメリットばかりです。
何より、塩元帥グループで一緒に働いていた仲間が私の会社に入ってくれたことが最大のメリットです。

しっかり教育を受けた、共通の理念をもつ正社員スタッフが最初からいてくれることは、 これほど心強いことはありません。 暖簾わけではなく、一からラーメン屋をしていたら、スタッフは集めにくいし、 集まっても良い人材である可能性はとても低いと思います。 当然、暫くは安定した収入は得られませんし、その時期を乗り越えれなければ 店を閉めなくてはならなくなると思います。 入っては辞め、入っては辞め…が多い業界なので、良い人材を採用し、 その人材に継続してもらうのはなかなか難しいと思います。

暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?
  これまでと変わらず、付き合わせていただいています。
毎月の全体会議に出席させて貰っていますので、今後は みんなに自分が経験した失敗談・成功談を

伝えて行けるようになりたいです。

先々の夢はありますか?
普段から頑張ってくれているスタッフ全員の夢を叶えてあげられるような…
そんな会社でありたいと思っています。

また初志でもある、自分発のラーメンブランドをいつかは立ち上げたいです。

これからチャレンジされる方へのメッセージ
  塩元帥には、誰にでもチャンスがあります。
しかし、チャンスは自分から掴み取らなくてはなりません。

”自分から掴み取る=教えて貰う” ではなく、自分から質問・相談する、 受け身ではなく、自分から道を切り開く…そういった精神が大切だと思います。 待ってるだけではなく、積極的な人にチャンスは廻ってきやすい、そう心から思います。 私で良ければ、何でも相談して貰えたらと思いますし、一緒に夢を掴みとろう!と伝えたいです。

頑張ってよかったですか?
  本当に良かったと思っています。
厳しい環境でもめげない私ですが、やはり悩み苦しんだ時期は多々あります。

そんな時に大将に仰って頂けたのは、”あきらめたらあかん…絶対にあきらめたらあかん。お前なら絶対に出来る!” このような言葉を当時たくさん頂きました。 大将の言葉を信じなければ間違いなく今の自分は居ませんし、 大将の言葉を信じて踏ん張ってきてよかったと思っています。

大将はどんな人ですか?
  企業のトップの方なのに、何でも話しやすく相談もしやすい方ですし、
謙虚で人に対して優しい雰囲気を持っていらっしゃる方です。

店を独立させていただいて、家族のために家まで買えるようになり、沢山のことを教えていただいた大将には、 心から恩返しをしたいと思っています。 そして最後に…   大将には、仕事以外で一生感謝し続けることがあります。 それは、私の妻が妊娠した際、病院で”出産には大きな問題があるかも…”と言われたことがあります。 私も妻も初めての子供でしたので、生むかどうかをとても悩んだ時期があります。 そんな時、プライベートなことではありますが、思い切って大将に相談させていただきました。 そして、長い時間をとって色々なアドバイスをいただきました。 その話のおかげで、私達夫婦は出産に踏み切る覚悟が出来ました。 今、私の家族に可愛い娘がいるのは、あの時、大将に話をしていただいたからです。 きっと私達夫婦だけだと正しい判断は出来なかったと思います。 かけがえのない、大切な家族と暮らせているのは、塩元帥、そして大将と出会えたからです。 この感謝は生涯、持ち続けていきたいと思います。 大将、本当にあの時はありがとうございました!!! 塩元帥と出会い、仕事をする中で、私も妻も両親も兄弟も、私の周りの皆が驚くほど 前向きになり幸せになって参りました。 塩元帥で働いているのは私だけなのに、その幸せが家族に広がっていることは最大の喜びです。 この喜びを今の仲間やこれから仲間になられる方々と共有していければと心の底から思います。

暖簾わけ店主【鶴見店 吉田光昭:H25年11月独立】

吉田店主

○前職は?

 

私自身、現在43歳になります。年齢を重ねているという理由もあるかと思いますが、それを差し引いても、周りの皆さんに比べると転職の回数は多いかと思います。

私は高校を出てからすぐに就職をいたしましたが、18歳~27歳までは普通の会社員からスナックのウェイターまで様々な業種を転々としていました。

とくに20歳ごろに経験した喫茶店のウェイターは、接客という仕事がとても楽しくやりがいがあったので、その後(今)の私の人生の礎(いしずえ)にもなったと思います。

喫茶店で働いた延長線として、そのまま飲食業界に進めれば良かったのですが、当時は職業を安定させたいという思いから資格を取り、それを生かした職業を目指しました。そして、27歳から40歳までは電気工事士(2級)の資格を取得し、工事会社で働いていました。

はじめは一人親方のところに弟子入りして7年ほど働いたのち、また転職して、小さい会社でしたが6年ほど働きました。電気工事士の仕事は、徹夜もあったり土日が潰れたり友人とも遊べなくて、決して楽な仕事ではありません。ですがこの仕事は自分に合っていたみたいで、13年という長い期間働くことができました。

とてもやりがいのある仕事だったので職業スキルはどんどん伸びていきましたが、時代背景もあり、給料はぜんぜん伸びてくれません。

ゆくゆくは独立も…と考えた日もありましたが、独立の資金もかかりますし不安だらけだったので躊躇してしまいました。

職した理由は?

 

27歳から7年もの間、一人親方のもとで地道に頑張りましたが、収入も減り生活自体が厳しくなってしまったため、転職を余儀なくされました。

その後に就職させていただいた会社では、任せてもらえる仕事の範囲もグッと広がり、とてもやりがいがありましたので、居心地の良い思いをさせて頂きました。

しかし不運なことに、会社の経営が厳しくなっていき、あえなく退社という運びとなりました。

そこまで電気工事士として計13年。経験もずいぶんあったので、多少の自信もあります。

ですが、いくつか電気工事会社の再就職を目指すも、どこも見習いスタートからだというです。

自分の13年もの経験と能力が、自分の思うような正当な評価となって表れてくれません。

これまで頑張ってきた自分は一体なんだったのか?

こんなに頑張ってきたのに、悔しくないのか?

この自分への問いかけから、これを機会に異業種に転職をすることを決意いたしました。

自分も40歳になる直前でしたので、異業種へ転職をするならこれが最後となります。

本当にやりたいことをしよう!…とてもじっくり考えた結果、20歳の頃やりがいをもって働いた接客業に転身することを決意いたしました。

○なぜ塩元帥を選んだのですか?

 

転職を決意してから、さっそく飲食専門の求人誌(グルメキャリー)で職を探し始めました。

その求人誌の中に、以前、偶然入って食べたラーメン屋さんの求人を見つけました。

“なんだここのラーメンは!めちゃくちゃ美味しいじゃないか!”と本気で驚いてしまうくらい美味いラーメンだったので記憶に残っていたのです。そこが、実は塩元帥だったのです。

感動するくらい”美味いっ!”と思えたラーメン屋・塩元帥の求人を偶然にも発見したものですから、私はもう、とても興奮してしまいました。

ラーメン屋と言えば接客ができます。しかも、あの美味しくて衝撃を受けてしまったお店が求人を出しています。

たくさんの飲食店の求人が掲載されていましたが、もう私には塩元帥しか目に入りませんでした。

急いで塩元帥の事を調べたら、自家製麺・無化調…自分なりにラーメンの美味しい理由がはっきりしました。

こだわりと自信を持っている会社に私はますます魅かれ、もう再就職はここしかない!と思ったのです。

募のきっかけは?

 

グルメキャリーを見たということで、応募させていただきました。

面接は高橋社長にしていただいたのですが、その時は社長ではなくその他の役職の方だと思っていました。なぜそのように感じたかと申しますと、いわゆる”社長”にありがちな偉そうな態度が一切なかったからです。始終ニコニコしていて、この人は一体どういう立場の人なんだろう?と、面接をしていただきながら考えていたことを覚えています。面接を受けながらも、その方の魅力にはまってしまって、一緒に働きたい!とさらに強く思いました。

どうしても面接に合格したい・この会社で働きたい!こんな風に感じた会社は初めてだったので、私は何を聞かれても”ハイ!”と一生懸命答えていました(どんな辛い条件であっても“ハイ”と答えていたと思います)。

緊張した面接も終わり、帰り際、高橋社長から”本当に働きたいと思ったのでしたら、明日電話を頂けますか?”というふうに言われました。

私にとって最後の転職です。

残り一日じっくり考えるつもりでしたが、日付が変わる瞬間にも電話をしたいくらい私の心はもう決まっていました。さすがに夜中に電話をしたら、社会人として常識を疑われますので、私は翌日の朝10時きっかりに電話をさせていただきました。

そして、入社許可をいただいて、私の人生が大きく変わる塩元帥での生活が始まりました。

○修行時代はどのような感じでしたか?

 

塩元帥に無事採用していただき、働き始めたのは私が40歳のときです。

決して若くない私を採用してくれた会社に、心から感謝したのを今でも覚えています。

会社のために一生懸命応えたい…心からそう思いました。

修行がスタートし最初に配属されたのは、尼崎店でした。

前職では仕事は教えられるものではなく、自分で盗むものだったのですが、塩元帥では調理の技術であれ接客のマナーであれ、学ぶべきところはすべてを先輩から教えていただくことができました。そうやってなんでも丁寧に教えていただくことによって効率よく仕事をこなすことができたので、与えられた仕事を一生懸命こなし、仕事が終わるとまた与えられ、それをまたこなし…。

一通りの仕事を必死で覚えているうちに、時間はどんどん加速し進んで行きました。

わたしの修業時代でもある尼崎店では、仕事のためのノウハウもたくさん教えていただきましたが、何より私が嬉しかったのは、店長とたくさんお話ができたことです。

時には朝の5時まで熱く語り合い、 “尼崎で地域一番店になる!”とお互いの夢を話せたのは、本当に良い勉強であり良い思い出です。 仕事は山のようにあり一通りをこなすのはとても大変でしたが、充実した日々を過ごすことができました。

尼崎店で修業がスタートし、仕事への取り組みを評価していただいたので副店長を任されるようになりました。そうやって一生懸命に日々を過ごすうちに、いよいよ私に“鶴見店の店長をしないか?”というオファーが届きました。

トントン拍子でことは進んできたのですが、ここで私は躊躇しました。

実は当時鶴見店では、店長が数名辞めたという過去があるのです。

塩元帥グループの中で、そういった店舗はとても少ないので、何か尼崎店や他の店にはない問題があるのでは。。

鶴見店に配属されたら、私自身もこの大好きな塩元帥を離れる羽目になるのでは。。この不安がとても大きくなっていきました。

しかし、大将からのありがたいオファーですし、“あくまでも候補者のひとりだから”と言われたので、決まったら頑張ろうと思うように心を切り替えました。

そして鶴見店の店長が決まる日、大将から電話が掛ってきて正式にオファーをいただきました。

私は電話の前で正座しながら引き受ける旨をお伝えしました。

○店長時代の苦したことは?

 

少し警戒しながらスタートした鶴見店での店長業務が始まりました。

しかし、スタッフは素晴らしく、売上は塩元帥グループでナンバーワン。特にお店自体に大きな問題がないことは、直ぐに分かりました。

もうこれは、自分次第。。

私が塩元帥で暖簾わけ店主になれるか否かは、店でもスタッフでもなく自分の成長次第だと強く思いました。前任者までの失敗を繰り返さず、必ず結果を出してみせる。

そういった思いで、スタートいたしました。

店はすでに、多くのお客様にご支持をいただいて流行っている、そして仕事に慣れたスタッフもいる。

大きなアドバンテージがあるにもかかわらず、やはりいくつかの大きな苦労が待ちかまえていました。

ひとつは私の気負いすぎです。

ここまで順風満帆で進んできた私は、一気に先に進むため、気合いを入れて仕事に臨みました。

しかし、自分自身の型を既存のスタッフに押しつけてしまったため、スタッフと私の心の距離が空いていくようになりました。私よりキャリアが長く年長者でもある既存スタッフからすると、あとから来て何を勝手なことを言っているんだという思いがあり、その他のスタッフたちは、私の厳しい言い方によって萎縮をしていくようになっていきました。

私から見ると、絶対に変えなくてはいけないという部分がありますが、ナンバーワンの売上店でしかも自分があとから来たとなるとこれは中々難しいことです。

流石にスタッフとの間の溝が広がり、育てなくてはならない大切な新人スタッフの数名が辞めていく中、私は師匠である高橋社長、そして尼崎店の横尾店長に相談させていただきました。

そして、店内で大将も交えた会議を行うことになりました(店長が変わっていく必要がある際、塩元帥ではこういった会議が行われるようです)。

会議では、スタッフから私が改善すべき点をたくさん教えていただきました。

最も多かったのは、私が指導する際の言葉使いが厳しすぎるというものでした。

伝えている内容が間違っているのではなく、言い方が厳しすぎる。。

多くのスタッフから同様の指導を受け、相手の気持ちを考えられていなかった自分を深く反省いたしました。そして、この会議を境に、私は変わっていくことを決意し、生まれ変わったつもりでスタッフに接して参りました。

そうすると、1人のパートさんが、理解を示してくださるようになり、

そこから全スタッフと意識を共有できるようになっていきました。

自分の至らないところを素直に認め、変わっていくというのは、とても難しいことですが、塩元帥という素晴らしい人達が集まった温かい組織の中にいたからこそ、私も一歩踏み出せたのだと思います。

スタッフのことを考え、怒らない指導、自分と相手が違うことを理解すること、感情的にならないこと、偉そうになっていないかを常にチェックすること、言葉遣いを変えること、何かをして貰う際は理由を説明すること。

大切な塩元帥にずっと居続けるためにも、“次はない!”という意識で取り組んで参りました。

私が変わるきっかけにもなったこの会議は、店長自身に意識改革が必要である際に行われるものですので、これから塩元帥の暖簾わけを目指される皆様は、もし会議が行われるようになりましたら、全力で変わる努力をしてください。

変わったあとに、本当に良かったと思えますし、周りのスタッフとの関係も抜群に良くなって参ります(実際、最近はスタッフが沢山集まるようになり、誰も辞めなくなりました)。

多くの諸先輩方も会議を経験しておられ、まさに登竜門とも言えると思います(もちろん、会議無しで進めれば尚良しですが…)。

私の至らなさを気付かせてくださったスタッフの皆様、本当にありがとうございます!

心から、感謝しております!!

○自分自身が塩元帥で成長した部分は?

 

塩元帥で成長させていただいたのは、対人関係の在り方だと思います。

それまでの私は誰と出会っても第一印象が悪く、威圧感があると言われたり、むすっとしていると言われたり…。

自分にそんなつもりはなくても、相手の印象は悪いものばかりでした。

ですが塩元帥に入社させていただき、店長業務の中で反省と改善を繰り返す中で、自分でも不思議なくらい雰囲気が変わっていき、昔からの友人にも“笑顔が増えた”と言われたり、ポジティブな言葉や態度が自然とついてでるようになりました。

髪型や服装なども一切変えていないのにもかかわらず、“雰囲気が変わった”とよく言われるようになったのは、自分本位でなく相手目線の行動が出来るようになり、塩元帥の3大原則が自然に体に染み込んでいったのが理由だと自分では思っています。

人間関係、人材教育で驚いたことは?

 

私は入社した時の年齢が40歳だったので、当然の事ですが…入った瞬間から先輩の皆さんが年下です。ですが年齢なんて関係なく、ダメなことはダメと丁寧に仲間が注意してくれます。

これは職場の仲間同士、お互いを大切に思い合っていなければ出来ないことだと思います。

こういった職場の雰囲気を作ってくれているのは、やはり会社のトップである大将の存在が大きいと私は思います。

普通の会社ならば会議でする話は売り上げの事だったりするのでしょうが、塩元帥では、聞いてる者の心が豊かになるような話を大将からたくさんしていただけます。

そういった話をたくさん聞いて成長した人が集まっている会社なので、

とにかくお互いを大切にし、お互いを高く評価するという雰囲気が出来上がっていると思います

○味へのこだわりで驚いたことは?

 

麺も自家製麺だったり、チャーハンダレ、マヨネーズ、メンマなどなど。

すべてを自分たちで作っていることに入社当初はたいへん驚きました。

その他のものも手作りにこだわっていて、素材同士がケンカをしないような、組み合わせの絶妙なバランスが保たれていたりします。

グラム単位の細かい量で調味料を入れたりしますので、味にブレが無く、いつでも美味しいものを提供できる自信があると思います。

素材にこだわり、そして味に徹底的にこだわる。その背景には塩元帥グループが持つ、“美味しいものを見分ける力“が影響していると思います。

お客様の感覚をしっかりと捉えた独りよがりではない味づくり。それを自然素材で実現。改めて、今回考えましたが凄いことだと思います。

○暖簾分け店主になることで生じた苦労は?

 

2013年11月から暖簾分け店主にさせていただきました。

当初2月に暖簾分け店主になるというお話だったのですが、いろいろあって前倒しになりました。

心の準備ができてなくて慌てる…というよりは、むしろ“自分にとってビッグチャンスがやってきた!”と考えていました。なので苦労というほどのものを感じたことはありません。

このように思えたのは、正社員店長の時代に、暖簾わけ後に苦労しないための様々な仕事をさせていただいていたからだと改めて思います。

本当に感謝しかありません。。

強いて増えた苦労といいますと。。

暖簾分け店主になってからは、今までやってきたことにプラスして経理をこなさなくてはなりません。これは今からでも一生懸命勉強しなくては、と思っています。

この経理くらいでしょうか。暖簾わけ後の苦労というのは。

○暖簾分け店主になることで生じた気持ち・行動の変化はありますか?

 

経営者という立場になりましたので、今まで以上にスタッフの事を考えるようになりました。

自分についてきてくれるスタッフですから。

私の元に来てくれたみんなには、大将が私にしてくれたように、今度は私が幸せにしてあげないといけないと心から思っています。

○暖簾分け店主と通常の独立開業の違いは?

 

暖簾わけと通常の独立開業は、まったく別物だと思います。

最初からお店のお客様(ファン)がいらっしゃるのは、本当に心強いです。

また、お店のしっかりしたノウハウもある中での独立開業は、断然有利ですよね。

私には資金もあまりありませんでしたが、高橋社長の計らいで、0円プランのような形でお話を進めていただくことができました。

通常の独立開業であれば、ゼロからのスタート。

3~5年ほどかかって軌道に乗せていくところ(軌道に乗る前に店を閉めることも多いと聞きます…)を、初月から黒字というのは、本当にありがたい話です。

○暖簾分け店主になったあと、株式会社全力との付き合いはありますか?

 

いつも困ったことがあれば、相談させていただいてます。

私にとって株式会社全力は、師匠である高橋社長や尼崎店の横尾店長、そして尊敬する諸先輩方が大勢いらっしゃいます。

悩み事ができると、師匠や諸先輩方に相談や意見を求めるようにしています。

○先々の夢はありますか?

 

大きな夢というよりは、まずは堅実に今の店をきちんと経営していくことが直近の目標です。

私の会社を、一会社として世間で正当に評価していただけるようになりたいです。

そして、私が高橋社長にしていただいたように、私も私のもとで働いてくれているスタッフを幸せに導いてあげたいと思っています。

○これからチャレンジされる方へのメッセージ

 

まずはホームページをしっかり熟読していただき、厳しい面もあるということを理解したうえで塩元帥に入りたい!と固い決心のついた方は、まずは素直な心で飛び込んできてほしいと思います。

ホームページに書かれていることに間違いはありませんし、会社が伸び続けている理由も働いてみればよく理解していただけると思います。(良いことが書いてあるが実情が違うと言うことは塩元帥にはありません。書いてあること以上だと私は思います)

素直に人の話が聞けて自分に甘くない人は、この会社はとても合っていると思いますし、正当に評価される対象になりえると思います。もし私のように、これまでの社会経験が長くてもスキルを評価されずに苦しんできた人たちには、評価されることの喜びが味わえる会社だと思います。

自分の努力を正当に認めて貰えることは何物にも代えられない価値があります。

私はそういった場所を追い求めてきて、ここに来て最高の居心地を感じています。

ぜひ、努力を惜しまない熱意ある皆様にこの思いを味わっていただきたいと思います。

最後に塩元帥で結果を出すためのコツです!

“誰も見ていない場所でも絶対に手を抜かない”、“楽をしようとしない”、“努力を惜しまない”

私の体感では、誰にも見られていない際のプラスの行動が、結果を加速させる感じだと思います。

ぜひ、参考にしていただけたら嬉しいです。

○頑張ってよかったですか?

 

もちろんです。

ここまでの道のりを振り返ってみても、もうすべてに感謝でいっぱいです。

○大将はどんな人ですか?

 

良い意味で“変わった人”と言えます。

おそらく私の人生で出会った人たちの中で、一番“変わった人”ではないでしょうか?

この世の中ほとんどの人が、まず“自分”があって、その次もしくは同等として“自分以外の人”が来るかと思います。

ですが、高橋社長は違うのです。

考え方がとても他者中心とでも言いましょうか、先に来るのが“自分以外の人”なんです。

本当に思いやりがあって慈悲深い人です。

そしてただ人に優しいだけではなくて、大事な部分を見落とさない・見逃さない“鋭い眼差し”を持っていらっしゃる方だと思います。

良いことは素直にほめてくださりますが、ここはアカンと思ったところは必ず進言してくださいます。

とてもタイミング良くアドバイスをくださるので、これまでも本当に勉強になりました。

暖簾分け店主になったこれからも、社長の背中を見て学んでいきたいと思っています。

店長紹介【伊川谷塩元帥 高森店長:平成26年1月6日独立】

○前職 は?

 

居酒屋で店長を3年勤め、ラーメン業界に転向し2年修行しました。

○応募のきっかけは(情報誌・ホームページなど)?

 

以前働いていたラーメン店は味にはこだわっていましたが、

食べに来て下さるお客様と働くスタッフを大切にする風土が会社になく

自分の試してみたいことも話し合いになる前に、否定される事が少なくありませんでした。

○なぜ塩元帥を選んだのですか?

 

塩元帥で働いている知人に「すごく良い職場」と聞き、面接をして頂くこととなりました。

面接室に入るなり、腰の低い対応で出迎えて下さった今でいう大将を見た瞬間ここは良い環境だと確信しました。

○働きやすい職場ですか?

 

みんなが働きやすい環境を常に追求している。その中の軸が「怒らない指導」だと思います。

それにより働くスタッフの笑顔が常に保たれ、職場の雰囲気が良なっていると感じています。

それらがお客様にも伝わっていると思います。

○仕事は楽しいですか?

 

お客様に更に喜んで頂くための意見であれば、立場の上下に関係なく取り入れてくれ、

まずは信用して任せて頂けることが自己の成長と遣り甲斐になり、働く楽しさを感じられます。

○味へのこだわりで驚いたことは?

 

ラーメン業界では難しいとされる「無添加・無化調」を多店舗展開していても守り続けている。

ラーメン以外の商品も全て手作りにこだわり続けているところも、他店にはない強みだと思います。

他店のスタッフが休日返上でスープを学びに来たりするところは、美味しさの飽くなき追求、こだわりの姿勢です。

これには教える方も刺激を受けます。

○人材教育、人間関係で驚いたことは?

 

大将の人柄が会社全体に行き渡っている。

自分たちを大切にしてくれているのを強く感じています。

その環境で育ったスタッフがトップ(店長)になったとき、同じようにスタッフを大切にします。

仁の心で人と接し、お客様はもちろん働く仲間への感謝の心も学ぶことが出来ました。

全てのスタッフがその精神を持っているので、

皆仲が良く楽しい職場ができていると感じています。

○その他、塩元帥のすごいところは?

 

大将の発想力と実行力にはいつも驚かされます。

そのすべては、働くスタッフの幸せの為に考えられたものばかりです。

スタッフの夢を語るものの、会社自体に実行力がない為実現とは程遠いことが世間ではありますが

塩元帥は大将の決断力と実行力のおかげで、日々目まぐるしい変化・進化をしていると思います。

塩元帥はプロのラーメン職人を目指す人には、ぴったりの技術を確実に磨ける環境が用意されています。

美味しいラーメンを作る事以外に、人である以上人間力が技術と同じくらい重要と考えています。

道徳を学ぶ機会を多く設けて頂けることがなければ、

経営者としてお客様とスタッフを幸せにすることはできないと学ばせて頂きました。

今はそれを自分の店で実践している最中です。

○先々の夢は?

 

ラーメン屋として以上に、大将から人生の夢と希望を与えて頂きました。

今、それを少しずつですが形にすることが出来ています。

このまま努力を積み重ねれば私だけなら幸せな人生を送れる思います。

自分だけで幸せになるより、私と一緒に働いてくれる仲間と一緒に幸せを感じるのが私にとっての最大の幸福です。

自分が大将からして頂いた沢山のご恩を、次は自分が人の為に見返りなくしていくことを喜びとしていきます。

○これからチャレンジされる方へ一言!

 

ここまでスタッフ想いの会社はないと思います。

そこで働き、店長を任せて頂いている私が感じていることですので現実の話です。

指導も丁寧ですし、ラーメンの味も確かなレベルです。

なにより、働くことの喜びを大きく感じることが出来ます。

みんな優しいスタッフばかりですので、不安な気持ちを捨てて塩元帥に飛び込んでください。

全員でサポートしますよ。